天才と組んだ第三のバンド。その名も「THE DONOVANS」
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.55】
大阪から沖縄に引き上げて来てから、「イエロー★ナイフ」というバンドを経て、「THE EXPIRATIONS」というバンドをやっていました
sanboo.hatenablog.jpその頃、宜野湾HUMAN STAGEでのとあるライブで「Chapter-No.14」というバンドと対バンをしました
観た感じ同世代で、ボーカル兼ギター、ギター、ベース、ドラムというとてもシンプルな4ピース
正直、演奏やライブパフォーマンスが突出しているわけではないけど、楽曲の良さが際立って良くて、他のバンドの中で群を抜いていました
ライブ後すぐに、ボーカルに話しかけました。彼の名はヒロキ。同い年で、後々知ったんですが父親が牧師をしているという、まさかの共通点もあり、すぐに仲良くなりました
よく遊ぶようになり、彼が作った曲もいろいろ聴かせてもらいました。彼の作曲センスはズバ抜けてて、どれも素晴らしいものでした
ヒロキはoasisやビートルズなど、洋楽を好んで聴いていて、邦楽ではthe pillowsが好きでした
自身が作る楽曲も、どこか洋楽のようなテイストだったり、英語詞の曲もあり、かと思えば日本語詞のバラードもあればシンプルなロックもあり、おじさんが4つ打ちの踊れるような曲をやりたいと言えばリクエスト通りに作ってくれたりと、とても幅広いありとあらゆる楽曲を生み出していました
おじさんが今まで対バンしたり自分でやってきたバンドの中でも、作曲センスでいえば浜田一平とヒロキがダントツでトップだと思います。それくらいの才能の持ち主でした
ヒロキは作曲以外に、話芸も天才的なスキルを持ち合わせており、彼が話あらゆるエピソードトークはどれも秀逸で、何度聴いても笑える、まさに「すべらない話」でした
しかし、そんなヒロキの「すべらない」鉄板話をおじさんが別の場で披露すると、なぜか彼ほどウケる事はありません。やはり、ヒロキの話芸のなせる技なんだと実感しました
今思い返しても、ヒロキ以上に話芸に秀でている人を見た事はありません
彼とよく遊ぶようになって、どちらともなく、一緒にバンドをやろうという流れになりました
ちょくちょく遊んでたほかのバンド仲間を誘って、「my basement film」というバンドを組み、後にメンバーチェンジを経て「THE DONOVANS」へ変わりました
おじさんが今までやってきたバンドは、ほとんどが青春パンクと呼ばれるパンク系のジャンルだったので、ライブではとにかく激しく、動きも音も大きく、見た目でもインパクトを残せるようにと荒々しいドラミングをしていました
けどTHE DONOVANSでは、いろいろなジャンルの楽曲があり、それぞれクオリティが高かったので、楽曲の良さを消さないよう、できるだけ曲の雰囲気に合わせたドラミングを心がけました
1つのバンドでこれだけいろいろなジャンルの曲を作る事はなかったので、THE DONOVANSでの活動はとても楽しく、また、ドラマーとしても成長していく事ができました
今はもう活動はしていませんが、ヒロキという天才とTHE DONOVANSを一緒にやれたのは、おじさんの誇りでありかけがえのない思い出です
ちなみに…話は変わりますが、前妻との間に生まれたおじさんの娘は、今年の春から高校一年生になるんですが
今でもちょくちょくLINEでやりとりをしてまして、なんと先日、バンドをやりたくてエレキギターを買ったそうです!
やっぱり親の血を引いているんだなー…。感慨深いです
いつかおじさんがドラムで、娘と一緒にステージに立てたら嬉しいな
ちょっと恥ずかしいけど…昔話してたら懐かしくなったのでTHE DONOVANSの動画を載せてみようかな
♪今日の一曲
Venus / THE DONOVANS
【手作りおつまみシリーズ】
材料費150円 コスパ最強 鰯の煮付け