夢が叶った日
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.42】
心の病がようやく治まってきた頃、前職でお世話になった先輩の言葉を思い出し、またバンドをやろうと決心しました
sanboo.hatenablog.jpメンバー募集で知り合った、一つ年上のギター兼ボーカルと、ベースと、3ピースバンドを組みました
バンド名は既に決まっていて、「イエロー★ナイフ」という、とてつもなくダサい名前でした…。これはあまりにもダサすぎる。ブルーハーツがいるのにバンド名に色を入れる時点で壊滅的にダサいのに、さらにナイフがつくなんてもはやダサいバンド名の大喜利かとしか思えないレベル。一万歩譲って名前は変えないとしても、天才的にダサい「★」はなくそう、などなど、何百回もメンバーを説得しましたが、頑に改名を拒まれました…
ジャンルはいわゆる青春パンク系のオリジナルでした。3人とも子持ちで、仕事の傍らバンドをやっていたので、プロを目指すというよりは趣味の範囲でした
あれだけダサいバンド名だったにも関わらず、そのバンドにはいろいろなチャンスが巡ってきました
とあるコンテストに応募したらなぜか優勝し、ラジオ番組にゲストで呼ばれたり
音源を作ったら、県内の予備校のCMに曲が使われたり
祭りや野外ステージでのライブなど、ライブハウス以外でのイベントにも声がかかるようになりました
ある日、ネーブル嘉手納の野外ステージでライブをした時の出来事です
ライブを終えたおじさんは、1人の女性に声をかけられました
その方はなんと…おじさんが中学の頃、人生初のライブで同じステージに立ち、その後、本場ブロードウェイのミュージカルに出演し海外で活躍している、高良結香さんでした
高校卒業以来、約8年ぶりぐらいの再会でした
話を聞くと、おじさんがまだバンドをやっている事をネットで知り、わざわざライブを観に来てくれたとの事でした
今や海外でも活躍するプロのアーティストとなった結香さんが、当時中学生だったおじさんの事を覚えてくれて、今でも気にかけてくれてたなんて…
感動で、言葉もありませんでした
今度、ライブやるので良かったら観においで、と誘ってくれて、後日、結香さんのライブを観に行きました
ライブ会場は桜坂劇場でした
その頃、結香さんはCDもリリースしていて、プロのアーティストとして活動していました
身長150cmに満たないであろう小さな身体とは思えないほどの声量と、本場ブロードウェイを魅了した表現力。その凄さに、ただただ圧倒されました
ライブ後、結香さんの楽屋に挨拶に行くと、「打ち上げあるからおいでよ」と誘ってくれました
結香さん以外誰も知り合いのいない打ち上げに参加するのは気が引けましたが、もっと結香さんと話したいと思ったおじさんは、勇気を出して参加する事にしました
打ち上げにはいろいろな人がいました。事務所の関係者、劇場の関係者、スポンサー、結香さんの友人、結香さんが出演したミュージカルのドキュメンタリー映画の配給会社の方など、様々でした
もちろん誰もおじさんの事なんか知りません。人見知りも手伝って、店の隅っこで一人所在なく参加者達を観察していました
遅れて店に来た結香さんは、一通りみんなに挨拶をした後、おじさんを見つけると、おじさんを連れて席を回り
みんなに、「My first drummer」と紹介してくれました
中学生のド素人のコピーバンドで、たった二曲演奏しただけなのに、初のドラマーと思ってくれてるなんて…
嬉しさのあまり震える気分でした
その後、結香さんといろいろ話をしました
高校を卒業してから大阪で一人暮らしをしてバンドをやっていた事。何度も挫折しそうになったが、新聞で結香さんの記事を見て、いつか結香さんに名前が届くよう、再会できるよう頑張ろうと思った事。結局バンドで食っていくことはできず、バンドを辞めたが、やっぱり好きで、今は趣味でやっている事
そして、結香さんに、「結香さんの活躍にとても勇気をもらい、それを励みに頑張る事ができました。中学生の自分たちに初ライブのチャンスを与えてくれて、勇気をくれて、そして、再会するきっかけをくれて、本当にありがとうございます」とお礼を伝えました
そうして、大阪でバンドをやっていた頃に出来た、新しい夢を叶える事が出来たのでした
♪今日の一曲
夢叶う / MONGOL800