福岡県田川市での単身赴任から帰ってきた沖縄おじさんのブログ

バツイチ再婚家族もち。いろいろ経験したアラフォー沖縄おじさんの人生遍歴とたわいもない日常

宗教について話そうじゃないか

【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.3】

今回は、宗教について書こうと思います

まず前提としてお伝えしたいのが、おじさんは、無宗教です

何らかの宗教の教えをゴリ推ししたり、勧誘するような投稿ではないのでご安心を

あと、ここに書く宗教に携わっている方や、世間一般の方も、この投稿を読んで不快な思いをするかもしれません

不快に思った方は、すみませんがその時点で読むのを止めていただけると幸いです

 

前にも書きましたが、父親はキリスト教で、現在牧師をやっています

おじさん自身、物心ついたころから教会に通ってて、洗礼も受けました

けど、今は無宗教です

 

父親は6人兄弟なんですが、父親を含む3人がキリスト教、2人が別の宗教、1人が無宗教です

そして祖母はキリスト教、祖父は一般的な先祖崇拝をしていました

沖縄の先祖崇拝は内地(本土)と違って、シーミー、ウンケー、ウークイなど独自の風習があります

祖父も父親も長男で、実家には仏壇があるので、本来ならば父親は沖縄独自の風習に従って仏壇や墓を守り、拝む役割です

しかし、キリスト教の牧師なのでやっていません

おじさんも、長男ですが、父親の影響でそれらは何もやってきませんでした。

 

父親に連れられて行っていた教会は、割と戒律が厳しいところでした

酒、タバコ、ギャンブルはもちろん、婚前交渉や自慰行為も禁止。そして、キリスト以外を拝む事も禁止でした。たとえそれが先祖の仏壇であっても

物心がついた時には既に教会に連れて行かれていたので、子供の頃は何も考えずに教会の教えを信じていました

マイ聖書も持ってたし、毎週聖書の朗読会にも参加してました。聖書の一説や、登場人物の名前を暗記しては、風呂場で父親に暗唱したりしていました

ただ、小学校に上がり、給食を食べる前に誰もお祈りをしないという事を知り、ひょっとしたら自分の家庭は他のみんなと違うのかなと考えるようになりました

 

先祖の仏壇を拝まない祖母と父親は、祖父と何度も衝突し、しまいには別居をするようになりました

行事ごとがある時には祖父の家に集まる事もありましたが、そんな時は毎回、祖父はおじさんに対して、「先祖の仏壇にウートートーしなさい(拝みなさい)」と言ってきました

拝む事は教会で禁じられているので、どうしたらいいかわからず父親の顔を見ると、「やるなよ」という表情で無言の圧力をかけられ、子供ながら祖父と父親の板挟みになるのがとても苦痛でした

 

父親の妹2人は、キリスト教とは別の宗教に通っていました。おじさんの従兄弟にあたる、子供2人も親と同じく通っていました

その宗教の教えは、死んだ後の天国が本来の住処で、現世はその前の修行中というような思想でした

修行中の身という事でお祝い事も禁じられており、誕生日プレゼントもなく、お年玉をあげる事も禁止でした

子供ながら、なんでそんな事をするんだろうと、不思議に思い、従兄弟たちがかわいそうだなと思っていました

 

小学校高学年になると、教会で洗礼を受けました。洗礼を受けると、これまでは「○○さん」と呼ばれていたのが「○○兄弟」や「○○姉妹」と呼ばれるようになり、大人が参加する集会に参加できるようになりました

中学に上がると、部活が忙しくなった事もあり、徐々に教会に行く機会が減り、高校に上がってからはほぼ行かなくなりました

その頃にはもう、宗教というものに嫌気がさし、無宗教でいたいと思うようになりました

 

高校を卒業した後は、大阪に5年間住んで、沖縄に帰ってきたんですが、ある日実家で家族で集まって食事している時、父親が酒を飲んでいてとても衝撃を受けました

あれほど熱心に教会に通い、教えを守っていた父親が酒を飲むなんて

訊いてみると、今は別の教会に通っていて、そこの教えでは酒は飲んでもいいとの事でした

なんじゃそりゃ、と。だとしたら今まで教えを守って飲んで来なかったあの時間って何だったの?と。なんとも言えない気持ちになりました

 

以上がおじさんの宗教遍歴です

今になって思うと、一通り聖書を読んで、キリスト教の教えに触れる事が出来たのは、まぁ悪くはない経験だったと思ってます

海外の映画でストーリーにキリスト教が関わってたり、ちょっとした台詞で出てきたりする時に、意味がわかると面白いので

ただ、子供の頃から、日常的に宗教に触れる環境に育ち、また身内に他の宗教もあり、宗教に板挟みになる経験をしてきた身としては、もう宗教に関わりたくないっていうのが正直な気持ちです

 

なんと言うか、やっぱり、人間にとって死とか、自分ではどうしようもない不幸や災害って恐ろしいじゃないですか

そういう恐怖感に押しつぶされないよう、何かにすがる気持ちから、宗教が生まれると思うんですよね

でも結局、死んだらどうなるとか、どういう事をすれば救われるとか、何も証明されてないんだなって思ったんです

宗教について、子供の頃からめちゃめちゃ考え、悩み、苦しんできたので、おじさんは宗教とは一切関わらずに、自分が経験した事、見た事だけを信じようという思いに至りました

 

おじさんが考える宗教とは、先祖を崇拝する事も含みます

世間一般的に、お盆や正月に先祖を拝んだり、墓参りするのって当たり前の事だと思います

でもそれも結局は、人ではないものを崇拝しているので、宗教なんです

そもそも人が死んだ後、どうなるのか証明されていないので、墓や仏壇にその人がいるのかもわかりません

それを信じて拝む事は、宗教を信じているという事になるので、おじさんは、やりたくないと思っています

非常識だと、先祖に対して失礼だと思う人もいるでしょう

ただ、子供の頃から宗教に巻き込まれて育つと、こういう考えに行き着く人もいるという事を知ってもらいたいと思ってます

 

かなり長くなってしまいましたし、こんなぶっちゃけた事書いて批判浴びないか正直不安ですが…

おじさんの人生にとって宗教はとても大きな影響を与えていて、その経験を踏まえてずっと思ってた思いを正直に書いたので、この記事を読んで少しでも何か感じてもらったなら嬉しいです

そして、1人でも多くの人にこの投稿を見てもらいたいので、まわりの友人にもこの投稿を紹介してもらえると嬉しいです

 

ご清覧、ありがとうございました

 

♪今日の一曲

宗教 / 椎名林檎

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