闇の中から救い出してくれた恩人
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.37】
勤務時間は長く、社員は独裁者の部長の機嫌をとる、いわゆるブラック企業に就職したおじさんは、次第に心が蝕まれていき、家庭もうまくいかなくなってきました
sanboo.hatenablog.jpこのままではいけないと危機感を感じたおじさんは、退職しようと決心しました
退職するには、まず直属の上司である先輩に退職の意志を伝えなくてはいけません
おじさんの事をいつも気にかけてくれ、とても熱心に仕事をおしえてくれた先輩の期待を裏切るようでとても心苦しく、なかなか言い出す勇気がありませんでした
先輩の期待は裏切りたくないが、会社は辞めたい…。どうすればいいだろうと考えたおじさんは、自分の意志ではなく家族に反対されたと、ミエミエの嘘をついて、退職したいと伝えました
先輩は、深く問い詰める事はせず、おじさんの目をまっすぐ見て「お前が決めたのなら、それでいい」とだけ言ってくれました
先輩に説得されたらどうしようと思っていたので、予想外の反応に安堵しましたが、この後にはラスボスの独裁者・部長が控えています
人を人とも思わない部長なので、何も言われないわけがありません。かなりきつい事を言われるだろうと覚悟を決めて、先輩と一緒に部長と面談をし、退職の意志を伝えました
結論から言うと、部長はおじさんに対して、ほとんど何も言いませんでした
部長の怒りの矛先は全て、先輩に向かっていったのでした
お前は一体なにをしていたんだ。どんな教育をしてきた
お前らをここまで育てるために会社がどれだけの金を使ったと思っている
俺もどれだけお前らの事を思い、動いたと思っている
お前らは会社に対しても俺に対しても、恩を仇で返す最低の人間なのか
お前は仕事ができるやつだと思っていたが、失望した
自分の部下の教育もできない奴なんて、無能だ
など。ありとあらゆる罵詈雑言を、先輩に浴びせました
そして最後にはおじさんに
「子供も出来て、家族を養っていかないといけない父親がこんな有様だとどうせろくな家庭にはならない
言っておくけど、お前の実力で今後、これだけ稼げる仕事には一生就けないからな
今よりももっとしんどい思いして、少ない給料しかもらえない仕事しかないから覚悟しとけ」
と捨て台詞を吐いて、面談は終わりました
外に出てからすぐに、先輩に謝りました。先輩は「気にする事はない」と言ってくれました
帰りの車中、おじさんは一言も話せませんでした
先輩の期待を裏切った事、自分のせいで先輩が怒られ、先輩の評価が下がってしまった事、家族まで悪く言われた事、それがとても辛くて悔しくて情けなくて、自分はお世話になった人に迷惑をかけ、家族も守る事ができない、最低な人間だ。そういう思いが頭の中を駆け巡って、消えてしまいたいと思ってました
店に着く前に、先輩がご飯を食べにいこうと誘ってくれました
とてもご飯を食べれるような心境ではなかったんですが、先輩の誘いを断るわけにもいかず、食事にいきました
先輩は、何事もなかったように、当たり障りのない日常会話をしてくれました。最初は俯いて放心状態だったおじさんも、少しずつ、会話ができるようになりました
食べ終わったあと、先輩が、「お前がしたい事は何?」と訊きました
おじさんは「父親として家族を養い、責任を果たす事です」と伝えました
「いや、そうじゃなくお前自身が本当にしたい事は何?もし家族がいなかったら、お前自身は何をしたい?」と再び先輩が訊きました
そんな事、今まで考えもしなかったのですぐには答える事はできませんでした。しばらく考え込んだ後、「本当は、音楽が好きで、バンドをしたいと思ってます」と答えました
すると先輩は、満面の笑みで「そうか!お前の本心が聴けて良かった。お前がやりたいなら、やればいいよ。今のお前は、自分のやりたい事を我慢して、家族のためと思って必死に頑張っているつもりでいると思うけど、父親がやりたい事を我慢して、無理して働いて、家族が幸せになれると思うか?別に趣味程度であれば、仕事をしててもバンドができるんじゃないか?自分のやりたい事を我慢せず、それ以外の時間で仕事や家族に全力で向き合えばいいんじゃないか」と言いました
その言葉は、おじさんの胸にズシンと響き、体の奥底から震えるように、熱いものがこみ上げてきました
そうか…そうだったんだ。バンドをやってもいいんだ
おじさんにとってそれは、暗闇の中に差した一筋の光のようでした
結局その後、無事に退職できたおじさんは日雇いのバイトをしながら職探しをし、1ヶ月後には今働いている会社に入社しました
そして、新たにバンドも始めました
一緒に働いた時間はたったの半年でしたが、先輩はおじさんの人生にとって、かけがえのない恩人です
あの時の言葉にどれだけ救われたことか。あの言葉がなかったらその後の人生もまったく別のものになっていたと思います
ちなみに先輩とは今でもfacebookで繋がっていて、数年前には当時の店舗の仲間も含めた飲み会で久々に再会しました
あの時の言葉にどれだけ救われたか、そのおかげでその後、趣味としてバンドやDJをやれた事、ありがとうございましたとお礼を伝えました
先輩はあの時と同じ満面の笑みで「お前が楽しそうで良かった」と言ってくれました
先輩、本当にありがとうございました
♪今日の一曲
ありがとう / D.W.ニコルズ