そして、父になる
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.34】
沖縄に引き上げてきてから入籍し、彼女は妻になり、おじさんの実家の近くにある古い平屋で2人で暮らし始めました
そこは祖父が古くからもっている借家で、隣には再婚した父親夫婦が住んでいました
当時貯金はまったくなく、身重の妻も働いていなかったので、登録制の日雇いバイトをしながら職探しをしていました
高卒で資格も何もなかったので、必然的に働ける条件は厳しいものばかりでした
とりあえず定職に就かなくてはと思い、某パン会社に就職し、配送担当となりました
配送の仕事は長く、朝は5時から、夜は19時過ぎまで働いてました
一般企業が休む日ほど稼ぎ時なので、ゴールデンウィークや盆や正月は当然休みはなく、台風の日は危険を伴いながらも仕事をしなくてはなりませんでした
それでいて給料は決して多くなく、将来的な昇給もあまり見込めない、厳しいものでした
このままでは家族を養っていくのは困難だと思い、転職を考え職探しを続けていました
パン会社で働いて1ヶ月ほど経った頃に、フランチャイズの店舗展開を行う会社の募集を見つけ、転職しました
本社は東京なんですが沖縄支社もあり、沖縄県内では某レンタルCDショップや、某ハンバーガーチェーンや、某ドーナツチェーンを展開していました
おじさんは、那覇の商業施設内にある某ドーナツチェーンに配属されました
パン会社に比べると給料も安定していて、ボーナスもあり、将来有望な会社でした。妻のお腹もどんどん大きくなり、出産予定日が迫ってきました
入社して1ヶ月ほど経った、出産予定日間近のある早朝
妻が陣痛を訴え、病院まで車で連れて行き診察してもらいました
お医者さん曰く、まだ子宮口が開いていないので、出産はまだ先との事でした
その後、車で家に戻りましたが、相変わらず妻は陣痛を訴えていて、次第に痛みが強くなっているとの事でした
そう言われてもこっちは何をすればいいのかわからず、体をさすったり声をかけたりしていましたが、妻の様子はどんどん苦しそうになり、痛みのあまり絶叫し、声をかけても会話もままならないほどでした
あまりにもしんどそうなのでもう一度病院へ連絡したところ、それであればとりあえず連れてくるようにと言われ、急いで車に乗り込みました
病院までの道のりは車で20分ほどですが、その間も妻は絶叫していて、気が気じゃありませんでした
病院に付くとすぐにお医者さんが駆けつけてくれたんですが、その時には既に子宮口が全開で、赤ちゃんの頭が見えるほどでした
すぐに分娩室に運ばれ、出産が始まりました。そして、ものの20分ほどで、無事に娘が生まれました
出産を目の当たりにすると人生観が変わるとか、泣くとか聞いていましたが、おじさんは不思議と冷静で、泣く事もありませんでした
頑張ってくれた妻と、生まれてきた娘への愛情はありますが、無事に生まれて良かったなー程度の感情でした
安心するとふとお腹が空いてきました。考えると朝から何も食べていなかったので、カップラーメンを買って妻の病室で食べました
後になって妻に、「こっちは大変な思いで出産したのに、その直後にカップラーメン食べる無神経さにムカついた」と言われました…。ごもっともです
そうやって、23歳の秋、ついにおじさんは父親になったのでした
♪今日の一曲