9.11と沖縄人としてのアイデンティティ
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.26】
おじさんは生まれた場所こそ東京ですが、両親も祖父母も沖縄出身で、生粋の沖縄人です
とはいえ、宗教的な理由で沖縄の伝統的な行事は行っていなかったので、大阪で一人暮らしをするまでは沖縄人としてのアイデンティティを自覚することはほぼありませんでした
おじさんが大阪で一人暮らしを始めた頃、音楽業界はSPEED、DA PUMP、安室奈美恵、MAX、モンパチなど、沖縄出身のアーティストが席巻してました
アーティストらの台頭とともに沖縄のイメージも上がり、沖縄出身だと言うとどこでも羨ましがられました
それはそれで嬉しいんですが、正直、少し違和感を感じずにはいられませんでした
沖縄には、県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦や、戦後のアメリカによる統治、本土復帰後の沖縄人差別、基地問題など様々な悲惨な歴史があります
おじさんの親の世代も、沖縄県出身者が本土で差別にあっていたという話はよく聞いていました
それらの歴史をわかった上で、沖縄が素晴らしいと言ってくれるのであればまだわかりますが、誰と話しても沖縄人が差別を受けていたなんて事は知ってませんでした
おじさんの実家は宜野湾市の普天間という地域で、すぐ隣には普天間飛行場を有する米軍基地がありました
子供の頃から、学校の上空は米軍機が飛び交っており、騒音ももはや日常化していました
住んでいた頃は騒音にも慣れていて、基地に対して特に何とも思ってませんでしたが、大阪に住んでからたまに帰省すると、米軍機の爆音の大きさに驚き、恐怖を感じずにはいらせませんでした
おじさんが19歳のある日、家で友人達と飲んでいた時、テレビでアメリカの同時多発テロのニュース速報が流れました
みんなでニュースを見ましたが、遠いアメリカでの出来事なので、みんなどこか他人事で大して興味はなさそうでした
おじさんは、そのニュースを見ながら気が気じゃありませんでした
その時、父親から電話がかかってきました
「ニュースを見たか。恐らくこれからアメリカは戦争に突入すると思う。そうなったらアジアで最大の米軍基地がある沖縄は真っ先に狙われるかもしれない。家族にもしもの事があっても、お前は内地で頑張って生きていくんだぞ」という内容でした
大げさでも何でもなく、当時はおじさんも全く同じ事を考えていたので、父親の言葉は胸に重く響きました
今になって思えば、一度沖縄を出て大阪で一人暮らしした事で、自分が沖縄人なんだというアイデンティティを感じる事ができたと思います
今でも沖縄はいろいろな問題を抱えています。ここでは政治的な話をするつもりはないのでおじさんの考えは述べませんが、沖縄人としての誇りを忘れず、沖縄のためにどうすればいいか、日々考えて行動していきたいと思っています
♪今日の一曲
※この動画は福岡県知事による外出自粛要請の発令前に撮影されました