雪解け
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.14】
中学二年生の頃、おじさんに反抗期が訪れ、二年間父親と口をききませんでした
ご飯を食べる時も父親と時間をずらし、食べてる時に父親が帰ってきたら食べずに部屋に行くほど徹底していて
今、自分自身が親になって考えると、父親はとても辛かっただろうなと思います
高校に入ると、環境の変化もあり、父親に対する反抗心は次第になくなっていきました
とは言え、二年間も口をきいていないので、今更どうやって話していいのかわからず、距離は埋まらないままでした
5月1日の夜。友人たちと夜に遊ぶ計画があり、おじさんは部屋のベランダから電柱を伝って家を抜け出しました
友人が買った新車の原付を借りて、友達と2台に分かれて、合流予定の女子を迎えにいきました
夜風が心地よくて、車通りも少なかった事もあり少しスピードを出して走っていたと思います
友人がちゃんとついてきているか、ふと後ろを振り返った瞬間に、記憶がブツっと途切れました
気がつくと、横になっていて顔がびしょ濡れでした
最初は自分がどこにいるのか、何が起きたのかわかりませんでしたが、次第に意識がはっきりしてきて…
あたりを見渡して、今自分が中学校の水飲み場にいる事がわかりました
そばには青ざめた顔の友人がいて、しきりに「大丈夫か?」と訊いていました
友人から状況を聞いて、ようやく事態が飲み込めてきました
友人の話によると
おじさんは、後ろを振り返ったままカーブに突入し、事故ったそうです
原付は大破し、何メートルも飛ばされ、ゴロゴロ転がった後、電柱にぶつかり、バタッと倒れて動きませんでした
友人はすぐさま原付を降りて駆け寄りましたが、おじさんはいくら呼びかけても返事をしませんでした
死んだ。と思ったそうです
何度も何度も呼びかけたところ、意識が戻ったんですが、突如立ち上がり、「ヤバイ」と言いながら車道へ飛び出して危うく車に轢かれるところだったそうです
その後、友人の原付に乗って近くの中学校に移動し、水飲み場で顔の血を洗っていた、という事でした
友人は何度も、救急車を呼ぼうと言ってましたが、不思議と特に痛みを感じるところもなかったので断り、友人の原付に乗って家まで送ってもらい、そのまま眠りました
朝起きると、全身がズキズキ痛み、手や顔からは血が流れていました
やはり病院に行かないといけないな、と思い、祖母に病院に行きたいと告げました
後に祖母は、普通に部屋で寝てたはずの孫が、身体から血を流して出てきたので、強盗に刺されたのかと思いショック死しかけたと言ってました
その後、父親が勤めていた病院に行きました。診察の結果、奇跡的に大きな怪我もなく、全て擦り傷のみでした
夜中に家を抜け出し、無免許で原付に乗り、事故を起こしているので、さすがに父親に怒られるかなと覚悟しましたが、なぜか父親は少し嬉しそうで、「男は怪我するくらい元気があるほうがいい」と言ってました
それからは日々、擦り傷に塗り薬を塗ったり、定期的にガーゼを変える必要が生じ、自分ではできないので姉や父親が交互にやってくれました
そのおかげで次第に父親とも話すようになり、長かった反抗期が終わりを告げたのでした
ちなみに事故の後、顔も手もガーゼまみれの姿で登校して、みんなから心配されるかなーと少し期待してたんですが、その日はX JAPANのhideが死んだニュースで学校中がもちきりで、誰もおじさんの怪我については触れてこないのでした…
親友が大好きだったhide。もしあの世というものが存在するなら、今頃hideと一緒にギター弾いているのかな、と少し思いました
♪今日の一曲
HURRY GO ROUND / hide with Spread Beaver