母親
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.2】
コロナの影響で、月に一度の帰省が延期になりました…
コロナマジでいい加減にしてくれ…
父親に続いて、今日は母親について書きます
母親の性格を言い表すと
明るく、天真爛漫、それでいて、幸薄い人
おじさんが物心がついた頃には既に両親は離婚していたので、
両親が二人揃っている姿は、前回書いたものしか記憶にないです
ちなみに、離婚した理由は、両親とも一切子供には話さなかったので、
大人になって母親に訊くまでは、理由は知りませんでした
母親は昔から子供が大好きで、子供の面倒を見るのがとてもうまく、
いつもしょうもない事を言っては子供を笑わせていました
今でも、姉やおじさんの子供達を連れて行くと、よく面倒をみてくれます
両親が離婚した後は、姉と二人で母親の家に住んでいました
母親の家も父親の実家も学校の通学区域内だったので、登校して、学校が終わったら父親の実家に行き、母親が仕事を終わったら迎えにきて、家に帰るという生活サイクル
父親の実家が学童代わりになって、お互いにとっていい環境でした
何も問題なく暮らしていたんですが、なぜか次第におじさんが毎晩悪夢でうなされるようになりました
その頃見ていた夢の内容は今でも覚えているんですが、子供が見るような単純なものじゃなく、とても不気味で、大人になった今でも思い出すと恐ろしいような、そんな悪夢です
毎晩必ず見るもんだから、夜がくるのがとても恐くて、毎日泣いては親を困らせていました
また、小児喘息にもかかり、夜中に発作で目が覚めては救急病院に駆け込む、という状態で母親はほぼ毎晩まともに寝れなかったかと思います
そんな日々が続いたある日、どういう経緯かは覚えてませんが、父親の実家に泊まる事になりました
すると、あれだけ毎晩悩まされていた悪夢を見ずに、ぐっすり眠る事ができました
それから何度か父親の実家に泊まりましたが、その時は悪夢を見る事がなく、家で寝る時だけ悪夢を見るという状態でした
恐らく両親が子供の事を思い決断したんだと思いますが、いつしか姉とおじさんは父親の実家で暮らすようになりました
あれだけ子供思いだった母親が子供を手放すのは、相当辛い決断だったと思います
大人になってから母親に当時の事を訊いたんですが、当時は一人で家にいるのが耐えきれなくて、何度も父親の実家の前まで行って家を眺めては、子供の事を想って泣いていたそうです
おじさん自身、離婚を経験し、子供と離れて暮らす辛さは痛いほどよくわかります
離婚の原因も母親にはなく、何も落ち度はないのに子供と離れて暮らさざるをえなくなり、正直、今でも母親に対しては申し訳なく思ってます
父親の実家で暮らすようになってからは、週に一度、日曜日だけ母親と過ごしました
母親に甘えたい盛りの子供としては、日曜日がくるのがとても待ち遠しくて、それでいていざ日曜日になると帰るのが嫌で
当時日曜の夕方にやってたアニメ、「ツヨシしっかりしなさい」とか「キテレツ大百科」を観ると、もうすぐ帰らないといけないんだといつも寂しい気持ちになってました
そして、帰るときはいつも嫌だと駄々をこね、母親を困らせてました
母親の方こそ離れたくないだろうに…本当に、申し訳ないです
子供の離れて暮らさざるをえなくなったのもそうですが、母親はなぜか、自分に非がないにも関わらず不幸な目に遭ってしまうという、特殊な人生を歩んでます
弟が突如消息不明になり(未だに見つからず)、兄が突然死し、妹が離婚、入院し、妹の子供達の面倒を見たり、仲のいい同僚が夫のDVに悩まされ、巻き込まれたり…
何か、呪われてるんじゃないかというくらい、いろいろな出来事が起きます
それでも、いつも明るく、笑って過ごしています
そんな母親も、おじさんが16歳の頃に再婚し、弟が生まれ、今では弟も成人を迎えました
もう十分、不幸な目に遭ってきたので、これから先は穏やかに、長生きしてほしいと思ってます
♪今日の一曲
アンマー / かりゆし58