貧しくもひたむきに生きていたあの頃
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.31】
前の妻とは22歳の頃、大阪で出会いました
彼女は沖縄出身で、大阪の病院で働いてました
彼女も音楽が好きで、いろいろなバンドを知ってました。どうやって知ったかはわかりませんが、おじさんがやっていたバンドを知り、「音源買いたいです」と連絡をくれて、音源を渡しに行って出会いました
出会って1ヶ月ほど経ってから交際が始まり、3ヶ月後にはお互い引っ越して、一緒に住むようになりました
引っ越した頃、彼女は諸事情で仕事をしておらず、おじさんのバイト代だけで2人で生活していました
生活はとても貧しくて、電気も冷蔵庫もない生活でした。冬だったので食料は常温で置いてましたが、前の日に買った牛乳がヨーグルト状になっていた事もありました…
生活が苦しかったので、おじさんは居酒屋のバイトと別に、日雇いの登録制バイトを始めました
毎日、事務所と呼ばれている小さいアパートの部屋に大人が30人ほどすし詰め状態で集められ、どこに何時に行くようにと、仕事場の情報をもらって各自仕事に行くという感じでした
日雇いの仕事は様々でした。
・オープン前の居酒屋の改装。指示されるがまま、ひたすら装飾品を運ぶ
・病院の改装。2人ペアになってクソ重たい扉を3階まで何往復も手上げ
・テントの配送業。倉庫に行ってテントをトラックに積み、告別式場を数件回ってテントを立て、後で回収して倉庫に戻す
・オープン前のニトリの展示棚の取り付け。何もなただっ広い空間で、ミリ単位で指定されている設計図通りに棚を取り付けていく
・百貨店の棚卸し。閉店後、ひたすら商品の数を数え、表に記入していく
など
いろいろある中で一番しんどかったのが、製本工場でした
製本工場にはいろいろな行程があり、どこを担当するかは毎回、当日に指示されました
身長ほどの高さに積み上げられた本がフォークリフトで運び込まれ、それを別の場所にひたすら積み上げて行く作業や
小学生用のドリルを、学年毎に並べる作業や
商品コードが載ったしおり状のやつをひたすら1枚ずつ本に挟んでいく作業など
どれもものすごく単純な作業で、それを8時間続けるのがめちゃめちゃ苦痛でした
バンドメンバーも日雇いバイトをやっていたんですが、同じ作業担当になった時はひたすらしりとりをして時間を潰していました
日雇いバイトはだいたい朝6時から15時までで、居酒屋バイトは16時から深夜24時くらいまで。睡眠時間は毎日4時間ほどでしたが、家に帰ると好きな彼女がいたので不思議としんどいとは思いませんでした
いつしかおじさんは、彼女と結婚したいと思うようになりました
次回に続く
♪今日の一曲
びんぼう'94 / ウルフルズ