路上での生活
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.22】
とある恩人との出会いをきっかけにインディーズバンドにハマり、那覇に行く時はいつもOPAにあったタワレコで試聴しまくってました
高校3年生のある日、いつものようにタワレコで片っ端から試聴していると、ふと聴いたあるアーティストの曲に衝撃を受けました
その頃はロックや、バンド系が好きだったんですが、その曲はフォークでした
フォークソングというと、吉田拓郎や南こうせつや井上陽水やさだまさしなど、親世代が聴いていた昔の曲というイメージでしたが、彼らの曲はフォークソングならではの素朴さはあるものの、決して古くさくはなく、おじさんが今まで思っていたフォークソングのイメージとはまるで違うものでした
それ以来、そのアーティストにどっぷりハマりました
それが、おじさんとゆずとの出会いでした
音楽好きの友達に、おもしろいアーティストを見つけたと、何度もゆずを薦めたんですが、ジャンルはフォークだと伝えるとみんな見向きもしませんでした
その後、メジャーデビューし、名曲「夏色」で一躍有名になったのは言うまでもありません。売れる前には誰も見向きもしなかったのに、売れた途端みんな「ゆずいいよね!」って言うんですよね…まったく
ゆずの魅力は何と言っても、楽曲の良さと多彩なコーラスワーク、そして様々な楽器を使い、たった二人だけでやっているとは思えないような幅広い演奏をこなすところでした
ライブVHSも買って、何度も何度も観ました。そのうち、自分もやってみたいと思うようになりました
おじさんの伯母さん(と書くとややこしいですが)も、昔から音楽をやっていたので、おじさんが「ギターをやりたい」と伝えると、伯母さんが使っていたアコギをくれました
それからゆずのスコアを買って、毎日毎日練習しました
もともとドラムしかやっていなかったので、まったく別物のギターを弾くのは当然ながら苦戦しました。初心者にとって大きな壁と言われている、人差し指で全ての弦を押さえるFコードも、いくら練習しても全然音が鳴りませんでした
しかし不思議と、いくら弾けなくてももうやめたいという気にはなりませんでした。一度でもいいから、ゆずの曲を弾いてみたい。ゆずのようにいろいろな楽器を使って二人だけで曲を奏でてみたいという思いでひたすら練習し、いつしかある程度弾けるようになってきました
そうなると次は相方探しです。当時、一緒にコピバンをしていた一つ年上のベーシストに声をかけてみたところ、興味を示してくれて、一緒にやる事になりました
それから日々、コンベンションセンターの海で、二人で練習しました
彼は高音が出せたので岩沢パート、おじさんは北川パートを担当しました。ある程度持ち曲が増えていった後は、ハーモニカ、ピアニカ、タンバリン、カズーなどどんどん楽器を増やしていきました。ハーモニカは曲によって使うコードが違うので2人で合計7〜8個ほど持ってました
そしてついに念願の、路上ライブを行いました
初めてやったのはいつでどこだったかは覚えていません。当時はおじさんも相方の彼も北谷のジャスコでバイトをしていたので、いつしか、バイト上がりに北谷のフリマ街で路上ライブをするのが習慣になりました
路上ライブではいろいろな事を経験しました
まったく知らない人が足を止めて聴いてくれ、話をしたり
悩みを相談されたり、歌を聴いて泣く人がいたり
いつしか「感想帳」を置くようになり、最終的に二冊に渡ってたくさんのコメントをもらったり
ほぼ毎週来てくれる、固定のお客さんがいたり
酔っぱらいに絡まれたり、唱っている最中にチューニングをずらされたり
などなど。時には楽しくない事もありましたが、今となってはほとんどが楽しい思い出です
基本的には、北谷のフリマ街でやっていたんですが、他にもいろいろな場所でやりました
美浜のゲーセン前、階段の下のスペースでやったり
大晦日の日、普天間神宮前の三叉路の歩道橋の下で年越しライブをやったり
高校3年生の卒業前、高校の中庭でライブをやったり
ある日突然、「うちの店の前で定期的に唱ってくれないか」という誘いを受け、沖縄市のカラオケ店の前で定期的にやったり
国際通りに遠征し、今はなき国際ショッピングセンター前や、平和通り商店街でやったり
おじさんの大阪移住をきっかけに解散が決まった後、ラストライブは宜野湾Human Stageでやりました
高校3年生の秋頃から始めて、結局は1年足らずの活動でしたが、路上ライブはとても大きな経験となり、後の人生の大きな転換期となる出会いもありました
その出会いについては、また今度あらためて書こうと思います
♪今日の一曲
シュビドゥバー / ゆず