手の平の大冒険
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.15】
高校一年生の3月。おじさんと友人は、悶々としてました
特に何かあったわけではないんですが、学校生活が退屈で、このまま流されるように過ごしてていいのかなーという、漠然とした不安を抱えていました
どちらともなく、「ここはいっちょ、旅に出るか」という話になり、友人と二人でヒッチハイクで沖縄一周の大冒険に出ようと決心しました
ちなみにその友人とは、前に書いた国際通りで童貞卒業大作戦を決行した友人です
あと数日で春休みに入るとこでしたが、休みを待って決行するなんて冒険じゃない!そもそも俺らは学校というものに縛られずに、己で道を切り開くために冒険するんだ!というテンションだったので、学校をサボって決行する事にしました
沖縄一周という壮大な冒険なので、もちろん日帰りというわけにはいきません。寝袋を確保する必要があったので、父親に計画の話をしました
普通なら学校をサボって冒険なんて怒られるとこですが、さすがは冒険好きの父親。とても嬉しそうに寝袋を貸してくれました
そうして迎えた決行当日。宜野湾市伊佐の国道58号線沿いで友人と合流し、ヒッチハイクの旅がスタートしました
通りに向かって二人で親指を立てながら友人に、「いいか、ヒッチハイクなんてそう簡単にはいかないからな。ヘタしたら一日かかって一台も停まらないかもしれない。それでも俺らは決して諦めずに最後までやりとげ…」と言ってるそばから、一台の車が停まりました
開始わずか1分の出来事です
1台目のドライバーは外国の人でしたが、中学時代にアメリカ留学していた友人のおかげでコミュニケーションがとれ、ネーブル嘉手納まで乗せてってくれました
ネーブル嘉手納までは距離にして約9Kmですが、高校生にとってはけっこう遠いイメージで、まさか開始してわずか30分足らずでこんなとこまで行けたのは予想外でした
ヒッチハイク再開し、「一台目はラッキーだったな。けどこっからが本番だから。毎回毎回そう簡単にはいかないからな。それでも俺らは…」と話してたらまたすぐ車が停車
簡単に2台目にありつけたのでした
2台目は名護のTSUTAYA前まで乗せてってくれました。距離にして42kmです
実は地理的に見ると名護って沖縄本島の真ん中ぐらいなんですが、そこから先はほとんど山で人里も少ないので、沖縄県民の感覚的には名護ってほとんど沖縄の端みたいなもんなんです
そんなところに、まさか午前中に着くなんて…。「なんか、思ってたのと違う…。このままいくとヘタしたら日帰りで終わってしまう」という危機感を感じたおじさんと友人は、どちらともなく「ま、せっかく名護に来たんだし、今日はここで一泊するか」と提案しました
とは言ったものの、やる事は何もありません。何となく海を見てぼーっとしたり、TSUTAYAで立ち読みしたり、名護ならでは、というような事は何一つせずただただ時間が過ぎるのを待ちました
そして夜になり、近くの消防署の出張所?みたいな広い空き地を寝床に決めました
寝袋に入るとさすがに冒険感が増してきました。宿で寝るんじゃなく、野宿。これぞ冒険だなーと思ってたら、向こうから人が近づいてきました
どうやらこの施設の職員さんか警備員さんのようで、注意されちゃうかなと思っていると
「あんたたちこんなとこで寝たら寒いよー。向こうに宿直室があるから、そこで寝たらいいさー」と、親切にも声をかけてくれました
とてもありがたいけど…果たしてそれが冒険と言えるのだろうか。友人を見ると同じ事を考えていたようで、何とも言えない複雑な表情をしていました
結局、丁重にお断りして寝袋で夜を過ごしました
大冒険二日目。午前中にヒッチハイクをスタートしました
これまで二回連続秒殺だったのでここまでくるともう無言です。どうせまた話している間にすぐ停まるんだろう…と思いながら道沿いで親指を立てていると、30分ほどで1台のダンプカーが停まりました
そのダンプカーと、もう1台を乗り継いで昼にはとうとう沖縄本島最北端の辺戸岬に着きました
おじさんも友人も、暗黙の了解で辺戸岬で一泊する事にしました
辺戸岬には小さいお土産店がひとつあるだけで他は何もありません。何もやる事がなくて、夜まで過ごすのはほんと苦痛でした
けど夜になり空を見上げると見渡すかかぎり満天の星空で、いくら見ていても飽きなかったです
星空を眺めながら、おじさんたちはどちらともなく「なんか…来て良かったな」と話し、眠りにつきました
そして三日目。朝からヒッチハイクを開始しましたが、この日はいつになく苦戦しました
というのも、辺戸岬に来るのは観光客ばかりで、乗せてくれる人なんかいません
一台も見つからないまま昼になり、午後になり、15時を回ったその時、見覚えのあるバンが通りました
そのバンの車体には、おじさんたちの高校の名前が塗装されてました
ん?と顔を見合わせ、そのバンの後を追ってみると…バンが駐車場に停まり、中からおじさんたちの担任の先生を含む、複数名の先生達が降りてきました
先生達はおじさんたちに気づいていなかったのでしばらく様子を伺い、担任が一人になったところを見計らってこちらから声をかけました
担任はさすがにびっくりしてました。おじさんたちは、ヒッチハイクの旅をしていること、朝からヒッチハイクしているがなかなか車がつかまらなくて困っている事を伝え、できれば途中まで送ってくれないか、とお願いしました
担当のクラスの生徒が学校をサボってヒッチハイクしている事を他の先生方に知られたくないと思ったのか、担任は、他の先生には内緒でおじさん達を近場まで送ってくれました
そもそも何で先生たちがこんなところにいたのかというと、三学期の修了式を終えた後に辺戸岬から駅伝形式で走るのが学校の職員たちの恒例行事との事でした
それにしても、学校という日常から逃れたくて冒険に出たのにまさか学校の車に乗せてもらうハメになるとは…
さながら、冒険に出たものの結局そこは釈迦の手の平だったという孫悟空のような心境でした
先生と別れ、ヒッチハイクを再開したらあれよあれよという間に車が停まり、なんとその日のうちに地元まで帰ってきました
沖縄の狭さを痛感したおじさんたちは、南部一周を諦め家路につくのでした…
♪今日の一曲
Around The World / MONKEY MAJIK