永遠の別れ
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.9】
親友の話の続きです
中学三年の春、彼はまた入院していました
入院先の病院で、ひょんな事からアメリカンスクールの高校生と友達になりました
そのアメリカンスクールの学生たちが、ホールを貸し切って舞台で様々なパフォーマンスを披露するパーティーがあり、良かったらそこでライブしないか、と誘われました
夢にまで見た初ライブのチャンスに、おじさんたちは大興奮。ぜひやろうという話になり、同級生からメンバーを集め、ベース、ギター二人、キーボード、ドラムが揃いました
ボーカルはアメリカンスクールの生徒がやってくれました
ちなみに、その時ボーカルしてくれた方は後にアメリカに渡り、本場ブロードウェイのミュージカルの出演を勝ち取り、そのストーリーが映画化され、今でもプロの歌手として活動する高良結香さんです
やる曲目は、LINDBERGの「今すぐKiss me」とMY LITTLE LOVERの「Hello, Again ~昔からある場所~」に決まりました
本番は7月5日。おじさんのドラムと彼のギターは割と問題なかったんですが、他のメンバーは楽器を触ったばかりの素人だったので、バンドの出来としてはお世辞にもうまいとは言えたもんじゃなかったです
それでも、バンドをやれているという事がただただ嬉しくて、たった2曲を何度も何度もみんなで合わせて、全然飽きる事はありませんでした
ライブの日がだんだん近づいてきても、彼の体調はなかなか良くならず、練習に参加できない事も増えてきました
ただ、彼のパートは完璧にできているので、ライブ当日にさえ来れれば大丈夫だろうと思ってました
部活とバンド活動の合間、時間がある時は何度も彼の病院へ見舞いに行き、バンドの経過報告やたわいもない話をしていました
ライブを2日後に控えた7月3日の事。いつも通り彼の病院へ見舞いに行きました
面会時間はとっくに過ぎてましたが、何度も通って顔なじみになった看護師さんが彼の部屋に通してくれました
その日、彼は呼吸器具をつけていて、目を閉じて、とても息苦しそうに呼吸してました
今まで見た事もないほど弱っている彼の姿は、かなり衝撃的でした
おじさんが来た事も気づかないほど苦しそうに必死で呼吸している彼の耳元で、看護師さんがおじさんが見舞いにきている事を告げました
彼は目を開け、聞こえないほどか細い声で、看護師さんに何か伝えました
看護師さんは最初とても困った顔をしていましたが、覚悟を決めたような表情になり、彼の呼吸器を口から外し、身体を起こしました
彼は軽くうなづき、看護師さんはおじさんを置いて部屋を出ていきました
しばらくの間、彼は呼吸が苦しそうで話す事ができず、おじさんは「無理しないでいいよ」と言う事しかできませんでした
次第に呼吸が整ってきて、少しずつ会話ができるようになりました
「バンドはどう?」
「まだ完璧ではないけど、まぁまぁ出来るようになってきたよ」
「そっか…。ごめんだけど、俺出れないかも」
「いいよ、無理しないで。俺らだけでやれるから」
「観に行きたいけどな…」
「うん。来てくれると嬉しいけど…無理はしないでいいからさ」
「あのさ、俺さ」
「ん?」
「多分もうダメだはず」
…今まで一度も弱音を吐いた事のない彼のその言葉に、おじさんは激しく動揺しました
「そんな弱気な事言うなよ」
「いや、そういうのじゃなくて」
「うん」
「本当に。自分でわかるから」
…そう言う彼の表情はとても真剣で、澄んだ真っ直ぐな目をしてました
ああ…そうなんだ…本当なんだ、と思いました
「…そっか」
「俺が死んだら、メンバーは泣くだろうな」
「あいつは気が小さいからなー。絶対泣くだろうね」
「お前はどう?泣くのか?」
「…お前はどうしてほしい?」
「うーん、泣かれるのは何か嫌だなぁ。」
「そっか」
「自分のせいでみんなが悲しい気持ちになってしまうのは申し訳ないし。あいつは変なやつだったなって笑ってもらった方が嬉しいかも」
「そうだな。俺は泣かないから、大丈夫だよ」
「そっか」
その後は何を話したのか、どれくらいの時間を過ごしたのか覚えてません
その頃にはおじさんはもう教会にもあまり行ってなくて、信仰心はなかったんですが、そのときほど本当に神様がいたらいいのにな、そして本当にいるならどんな事をしてでも彼を助けてほしいな、と思いました
また来るから、と伝え部屋を出ました
それが、おじさんが見た彼の最後の姿でした
ライブ当日、残念ながら彼は体調が優れず、観に来る事はできませんでした
ライブの出来は…どうだったかあまり覚えていません
それから3日後の7月8日。学校の体育祭が間近で、放課後教室に残ってみんなでゼッケンか何かを作ってました
学校が閉まる時間になっても作業が終わらなかったので、おじさんの家でみんなで作業しようという事になりました
学校を出ようとしたところ、職員室の前でおじさんだけ担任の先生に呼ばれました
「彼が、先ほど亡くなったらしい」と先生に告げられ、おじさんは「そうですか、わかりました」と伝えました
「大丈夫か」と訊かれ、「大丈夫です」と答えました
友達たちと家へ向かう間、不思議と気持ちは冷静でした。友達たちはまだその事を知らないので、動揺させてはいけないと思い、普段通りに接していました
その後、家に帰り友達たちとゼッケン作りをしていたんですが、部活仲間から、彼の死を知らせる電話が何度もかかってきました
あまりにもひっきりなしに電話が鳴るので、さすがにみんな何かあったんだと気づき、問いつめられたので覚悟を決め、彼の死を伝えました
その後、友達たちと彼のお通夜に行きました
白く、冷たくなった彼は棺桶に横たわっており、そばでは彼のおばあさんが
「あんた、○○君が来てくれたよー。ありがとうって言いなさい」と泣きながら彼に語りかけていました
おばあさんは、亡くなる前の彼の様子を話してくれました。意識が朦朧としてる中、ライブの映像を観せると微笑んでしっかり観ていたそうです
動かなくなった彼の姿を目の当たりにしても、なぜか気持ちは冷静で、何も感じる事ができませんでした
数日後、告別式に友人代表で参加しました。先生やクラスメイト、部活仲間、みんな泣いてましたが、結局おじさんは彼が死んでから一度も泣く事はありませんでした
それ以来、大人になるまで、おじさんは一度も泣いた事がありません
自分はなんて冷酷な人間なんだろうと、正直、コンプレックスに感じていました
今思えば不思議なんですが、当時、彼の病気について本人や家族に訊いた事はありませんでした。まさか、死んでしまうほどの病気だったなんて、夢にも思いませんでした
彼が死んでけっこう経った後、ふと父親に、彼の病気は何だったのか訊きました
彼の病気は、骨肉腫という、骨の癌でした
子供の頃、骨肉腫で亡くなった女性の「鳥になって」という本を読んだ事があったので、まさか彼の身にそんな事が起きてたなんて、と愕然としました
おじさんの親友の話は以上です
彼という、強くて、明るくて、素晴らしい才能に溢れた人がこの世にいたという事を、少しでも多くの人に知ってもらいたいので、あえて本名を載せたいと思います
松川昭太
享年14歳
あまりに短すぎた一生でしたが、彼と過ごしたかけがえのない日々は、23年経った今でもはっきりと覚えています
♪今日の一曲
Hello, Again ~昔からある場所~ / MY LITTLE LOVER