吹奏楽部という暗黒時代
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.6】
小学校高学年になるとますます音楽にハマり、学校の時間以外は四六時中音楽を聴いてました
中でもバンドが好きでよく聴いてたんですが、気がつくとドラムのパートばっかり聴いてて、いつかバンドを組んでドラムをしたいと思うようになりました
中学に上がるとすぐに、吹奏楽部に入部しました
やりたい楽器が決まっている人はそのパートに、決まっていない人は一通りのパートを見学してどれか決めるという感じでしたが、おじさんは迷わずにパーカッション(打楽器)パートを選択しました
吹奏楽部で小太鼓とかやってれば、ドラムやる時に役立つかなーという程度の気持ちで入ったんですが、何と、吹奏楽部にはドラムセットがありました
ここにいたらドラムが叩ける!と期待に胸膨らませたものです
そこから三年間、部活を続ける事になるんですが、正直、地獄の三年間でした
まず入って予想外だったのは、文科系と思いきや体力基礎という筋トレ的なメニューが多い事
パーカッションだと、1.5Lのペットボトルに砂をつめた重りを両手に持ち、両手を水平に広げて何秒間かキープする
同じものを持ち、手を前に出して手首を左右交互にひねる
シンバルを両手に水平に持ち、キープする
など。入部した当初はそれら基礎ばっかりで、楽器を触る時間はほとんどありませんでした
そして次に大変だったのが、女子たちの中で活動する事です
当時の吹奏楽部は、1学年上に男子の先輩が一人いましたがほぼ幽霊部員状態で、同学年の男子がちょくちょく入っては辞めての繰り返しで、実質三年間ほぼ男子はおじさん一人という状況でした
そりゃ思春期の男子ですから、最初のうちこそハーレム的な環境に心躍ってましたが、そんな気持ちは数日でなくなりました
根本的に、男子と女子って脳が違うというか、感覚がまるで違うんです
どこぞのチョコが美味しいというくだらない会話、お互い自分の事ばかで話しが逸れまくりでオチのない会話、派閥や、裏ではお互いの事を悪く言いながら表では仲良しのようなそぶりをするなど
女子ってそういうもんだし、一対一の付き合いとかなら別に何とも思わないんですが、自分以外全員が女子という、女子の世界の中に男子一人というのがしんどくて
いつしかおじさんはほぼ会話せず一人で黙々と練習を続けるようになりました
そして回りの女子達も、おじさんに話しかける事もなくなり、まるでいないかのように女子特有のどぎつい下ネタとかを話すようになりました
男子一人という弊害は他にもありました
当時はまだヤンキーという人種が存在し、おじさんの中学校にも当然いました
先輩を見つけたら直立不動で挨拶をする、三年生しか通っては行けない道がある、中庭に出れるのは三年生だけで下級生は中庭を見てはいけない、女子と付き合ってはいけない、など、ヤンキー達が決めた謎の掟があり、破るとボコられるというなかなか荒れている時代でした
そんな中、女子ばっかりの吹奏楽部に男子一人という存在は格好の標的で、何度も先輩にからかわれたり、それ以上の事をされたりしました
吹奏楽部には、自分のパートの楽器は他の人に触らせてはいけないというルールがありました
昼休みには毎日昼練があったんですが、練習をしているとヤンキーの先輩が入ってきて、おじさんからバチを取り上げては楽器を叩いてからかってました
ヤンキーの先輩に歯向かえるわけもなく、ただただ黙って時が過ぎるのを待つしかないんですが、ヤンキーの先輩が出て行った後は、他の部員達から「何触らせてるんだよ」という白い目で見られるという板挟みの状態でした
今思えば…パーカッションやってたっていうのも悪かったのかもなー。これがフルートとかピッコロだったら、ヤンキーの先輩はそれを取り上げて吹いたんだろうかとふと思います
二年生になると、三年生が卒業したことにより、チューバという一番大きい低音楽器の担当に空きが出ました
必要なパートなので、誰かがやらないといけないんですが、肺活量を使うパートなので当然、男子に白羽の矢が立ちました
顧問の先生から正式に、チューバをやってくれないかと打診されましたが、ドラム以外は興味がなかったので、パーカッションができないなら辞めますと伝えました
その結果、パーカッションの同学年の女子がチューバに移る事になり、いよいよおじさんは部員全員から敵視される事になりました
パーカッションには、いろいろな楽器がありました。ドラム以外にも、大太鼓(バスドラム)、小太鼓(スネアドラム)、シンバル、ティンパニー、木琴(シロフォン)、鉄琴(グロッケン)、小物だとトライアングル、タンバリン、カウベル、鈴、カスタネットなど
練習曲やコンテストの課題曲が決まると、パーカッション内で誰がどの楽器を担当するか決めるんですが、みんなおじさんがドラムをやりたい事を知っているので、ドラムや小太鼓はさせてもらえませんでした
まぁ、今思えば当然ですけどね…。自分から女子と距離をとり、チームの事を考えず自分がやりたくないパートは嫌だと我がままを言い、興味のある楽器だけやりたいという態度をする
嫌われたのも全ては、自業自得と思います
そんな辛い状況の中、なぜ三年間も続けられたかというと、すべてはドラムを叩きたいという気持ちだけでした
土日は、楽器が音楽室に出しっ放しなので、いつも朝練習よりかなり早い時間に行っては一人でドラムを叩いてました
練習が朝9時からなんですが、朝6時くらいに行って、一人でミスチルやLINDEBRGを叩いたり、時にはCDを大音量で流して、CDに合わせて叩いたり
ギターがうまい親友ができ、彼が吹奏楽部に入ってからは、二人で合わせたりして
その時だけが、幸せな時間で。その時間を楽しみに、三年間続けてきました
親友がずっといれば部活も楽しくなれたんでしょうけど、残念ながら中学三年生の夏に彼はいなくなりました
その話はまた改めて、書こうと思ってます
今日はここまで
♪今日の一曲