海の青さと空の青
一年間の単身赴任生活のお疲れ会という事で、昨日から家族で、北部の今帰仁村に泊まりにきています
こんなご時勢なので、宿泊先はホテルではなく、一棟貸しの一軒家にしました。それなら密も避けられるしね
途中で、本部町にある備瀬のフクギ並木に寄りました
昔ながらの瓦屋根の家と、サンゴ礁の道路と、フクギ並木の天然のトンネルでなんとも言えない心地よい風景です
フクギ並木のトンネルの向こうは真っ青の海
滞在時間はほんの少しでしたけど、のどかでとても素敵な場所でした
そしていよいよ宿泊場所へ到着
周辺はサトウキビ畑が生い茂っていて、空が青くて高くて、ゆったりとした時間が流れています
サトウキビ越しの空
田川市もなかなか長閑だったけど、また違った感じなんですよね
気温や湿度もそうだけど、この空気感とか、空の青さとか、植物とか、虫の鳴く音とか
全身で沖縄を浴びている感覚で、帰ってきたんだなーと実感しています
近くには絶景のビーチもあります
どうですかこの景色。もうこんなんずっと観ていられるでしょ
海に佇む沖縄おじさん
いやー、ほんと楽しかった!
やっぱり沖縄って、いいですね。そして家族で一緒に過ごすのはほんと楽しいなと思いました
未だ夏真っ盛りで快晴の沖縄ですが、明日の夜には非常に強い台風「メイサーク」が襲来するようです…
台風慣れしてる沖縄人でもさすがにヤバいレベルの台風なので、今のうちに水や非常食を買って備えておきます
大きな被害がでない事を願ってます
♪今日の一曲
Street Story / HY
【挑戦・やってみたシリーズ】
福岡最終日のボートレース大勝負!
さよなら田川、お帰り沖縄
一年間の長期出張を勤め終え、昨日、沖縄に帰ってきました
その前の日は、会社の方々が送別会を開いて下さり、男同士で下ネタから仕事の話、大学生の将来の話など、大盛り上がりでした
福岡最終日は、部屋を片付けて、家を出て鍵を中に投函した後で帽子を部屋に置き忘れた事に気づき…炎天下の中二日酔いでフラフラになりながら電車に乗り、田川に別れを告げ
昼には博多へ着いて、博多デイトス地下1階の「日の出」で海鮮丼を食べました
そしてその後は、バスに乗ってボートレース福岡に行き、最後の大勝負をしました
その結果は…近日中にYouTubeにアップします
ボートレースを終え、また博多駅に戻って、福岡県最後の食事はデイトス2階のラーメン街道にあるshin shinのラーメンを選択
やっぱり福岡の〆は豚骨ラーメンですよね
そして福岡空港へ向かい、夜20:55の便で沖縄へ飛びました
普段沖縄に帰省する時は、昼の便で帰る事が多いんですが、夜の便は夜景がとても綺麗でいいですね
その夜景も近日中にはYouTubeにアップしようと思ってます
長かったような、短かったような、とにかく濃い一年間でした
田川市に単身赴任に行かなければ、このブログを始める事も、YouTubeを始める事も、その先にある目標ができる事もなかったと思います
ほんと、人生、何が起きるかわからないですね。でも、たった一度きりの人生、何が起きたとしても、楽しんだもん勝ちだと思ってます
そうそう。単身赴任中じゃなくなったので、このブログのタイトルも近日中に、リニューアルしようと思ってます
単身赴任中の沖縄おじさん改め、単身赴任から帰ってきた沖縄おじさんを、今後ともよろしくお願いします
♪今日の一曲
彩り / Mr.Children
【手作りおつまみシリーズ】
自宅BBQをしながら嫁さんとリモート飲み
沖縄おじさんのおすすめバンドシリーズその③ THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
久々に書きます。おすすめバンドシリーズ第三弾
おじさんと同世代のロック好きならきっと、今さらミッシェルをオススメだなんて…と鼻で笑う事でしょう
例えるなら、外国人観光客にオススメの日本食を訊かれて、寿司を勧めるようなものでしょうか。いやいや、いくらなんでもそれは言われなくても知ってるよ、と
けど、あまりロックを聴かない人や、それこそ大学生とか若い世代はひょっとしたらミッシェルの事を知らない人もいるのかもしれないと思うんです
というのも、今年はありとあらゆるロックフェスがコロナの影響で中止を余儀なくされて、フジロックやライジングサンなどは、オンラインでこれまでのフェスの模様を配信してるんですよ
それを観て改めて、ミッシェルってものすごいバンドだなーと思って、いてもたってもいられなくてこの記事を書いてます
まずはWikipedia掲載の概要から抜粋
・概要
1991年に本格的な音楽活動を開始し、インディーズでの長きにわたる活動を経て1996年にメジャーデビュー。
1960年代から1970年代のパンク・ロックやパブロック、ガレージロックを彷彿とさせ、ブルースロック、ロカビリーなどの要素も多く取り入れられたサウンドが特徴。
細身のモッズスーツを衣装とし、ライブにおいてはほぼ欠かさず着用している。
1990年代後半に巻き起こった日本のオルタナティヴ・ロックブーム、ロック・フェスティバルの勃興の中で、無骨ながらも硬派な音楽性とビジュアルでロックファンのみならず一般大衆を巻き込み人気を博した。
活動期間は決して長くないものの、解散した現在でも数多くのミュージシャンやロックファンに影響を与えている。
キュウちゃんことクハラのタイトでソリッドなドラミングと、無骨で荒々しいウエノのベースに、アベの超高速カッティングギターが乗っかり、一度聴くだけで脳天まで痺れるような唯一無二のチバのがなり声のボーカル。もう、どこを切り取ってもとにかくかっこいいでしかない、男が憧れる究極のロックバンドなんです
そんなミッシェルには様々な逸話が存在します
・ミュージックステーション初出演時のt.A.T.u事件(Wikipediaより抜粋)
「ミュージックステーション」に初出演した際に、ロシアの女性デュオアーティスト「t.A.T.u.」が、オープニングには出たものの楽屋から出てこず、ひな壇にも座らず、挙句には歌わずにボイコット。ミッシェルは先に歌っており、CMを挟みタモリがt.A.T.u.に呼びかけ、再びCMに入った。CM中に現場の空気は騒然とし、生放送なためほとんどのアーティストが生演奏を出来る状況ではなかった。その際にメンバーが「俺らもう一曲歌えたじゃん」と冗談を言ったところ、スタッフから「是非歌ってくれ!」と申し出があり、ミッシェルは最初から生演奏で歌っていたため、2曲目も対応が出来た。
この時歌唱したのは「ミッドナイト・クラクション・ベイビー」で、放送時間に合わせるためCDの音源よりも早いテンポで演奏が行われた。このことに関しては2020年8月21日放送回で番組ディレクターが証言した。
t.A.T.u.が逃亡した事に対してメンバー全員が大爆笑しており、後日に「出たくねぇって、俺らは出たくて仕方ねぇっつうのによ!」と笑いにしていた。
・フジロックでのライブ中断事件
1998年、2回目にて、唯一東京で開催されたフジロックフェスティバル
ビョーク、プロディジーなどそうそうたるビックアーティストの中、ミッシェルも出演したんですが、ミッシェルのステージでモッシュが発生しまくり、圧死危険のためライブが何度も中断される事態になりました
登場して一曲演奏した時点でスタッフに止められ、気分が悪い人がどんどん運ばれて行き、少し後ろに下がるようアナウンスがあり、十分間隔をとった上でライブが再開するも、イントロの時点でまたもやモッシュが多発しスタッフに止められ、さらに人が運ばれるという、ものすごいステージでした
・フジロックでたった二組の日本アーティストのヘッドライナー
ライブ中断事件から2年後の2000年、今と同じ苗場で開催されたフジロックフェスティバル
この年のヘッドライナーは、1日目がBLANKEY JET CITY、そして2日目がTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTでした
1997年に始まり、これまで23年間も続いているフジロックの歴史の中で、日本のアーティストがヘッドライナーを務めたのはこの年のみです
もちろん、そのライブも凄まじい盛り上がりでした
公式じゃないのが微妙なところですが…どれもYouTubeで検索すると映像が出てきます
逸話からもわかるように、とにかく男臭くて無骨でひたすらかっこいいミッシェル。おじさんは高校3年生の時に初めてライブを観てから、ずっと大好きでした
しかし、そんな彼らも2003年9月1日に解散を発表。ラストツアー「LAST HEAVEN TOUR」最終日の10月11日をもって解散したのでした…
最後のライブで最後に演奏されたのは、ミッシェルのデビュー曲「世界の終わり」でした
これまで、どれだけ高速でカッティングしまくっても滅多に弦を切る事がなかったアベが、この曲の演奏で弦を切るのです
恐らく、それだけ感情的になり力が込もっていたんだと思いますが、アベは無表情のままずっと前を見据えていて…あの時の何とも言えない表情は、忘れる事ができません
またいつか再結成する事を夢見ていたんですが、2009年7月22日、ギターのアベフトシは急性硬膜外血腫によりこの世を去ってしまいました
これにより、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは、二度と復活する事はなくなりました
既にかなりの長文になってしまってますが…最後に、おじさんのおすすめの10曲を紹介します
1.世界の終わり
前述した、デビュー曲であり最後に演奏された曲
文句なしの代表曲です
2.ゲット・アップ・ルーシー
これも初期の頃の代表曲。アベのカッティングギターが冴えてます
3.ハイ!チャイナ!
三連のリフが特徴的な、踊って盛り上がれる曲です
アウトロのチバのブルースハープがめちゃかっこいいです
4.CISCO 〜想い出のサンフランシスコ〜
歌詞は「CISCO!」と数回叫ぶだけの、ほぼインスト曲
曲を知らなくても盛り上がれる、ライブの鉄板曲です
5.ジェニー
これもライブのド定番。カントリー調の16ビートのスネアに、ミッシェルにしては珍しくメロディラインが映える、嫌が応にも盛り上がる曲です
6.キラー・ビーチ
BPM125くらいのミドルテンポの、個人的にとても好きな曲
この曲もメロディラインが秀逸です
7.ダニー・ゴー
この曲もライブの終盤でよく演奏されます。大サビのキメがめちゃめちゃ気持ちいいです
8.GT400
これもミドルテンポの曲。シンプルながら耳に残るメロディラインが心地良いです
9.ミッドナイト・クラクション・ベイビー
Mステでの伝説のt.A.T.u事件で急遽演奏された曲。タンバリンを叩き鳴らしながらシャウトするチバにやられます
10.エレクトリック・サーカス
ミッシェルのラストライブで解散した日でもある10月11日に発売された、ミッシェルのラストシングルはまさかのスローテンポなバラード
「俺たちに明日がないってこと はじめからそんなのわかってたよ
この鳥たちがどこから来て どこへ行くのかと同じさ」という歌詞が染みます
以上。めちゃめちゃ長文になりましたが、とにかく、ものすごいバンドなので、聴いた事ない人はぜひ聴いてみて下さいね!
♪今日の一曲
Girl Friend / THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
【道の駅探索シリーズ】しんよしとみ編
バターナッツかぼちゃのレンチンバターソテー
「阿吽の呼吸」の凄まじさ
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.85】
2016年、一人でDJイベントを続ける事に限界を感じたおじさんは、若手DJの雄獅子ともんつうをレギュラーに加え、自主企画「踊ROCK」の再スタートを切りました
そしてその年の10月、日本一有名なロックDJパーティー、「Getting Better」の20周年ツアーのファイナルという、新木場スタジオコーストでの大舞台に立たせてもらいました
2017年7月には、東京のこれまた超有名なDJパーティー「FREE THROW」のレギュラー陣を招いて、二回目となる共同企画「踊ROCK×FREE THROW」を開催しました
ROCK IN JAPANやCOUNT DOWN JAPANのDJブースでプレイを観て、神啓文さんの虜になり、声をかけさせて頂いてまさかの踊ROCK出演が叶ったのが2014年
その後、タイラダイスケさん、cabbage boy君とも知り合い、2015年には沖縄の熱血社交場で踊ROCK×FREE THROWを開催しましたが、もう一人のレギュラーの弦先誠人さんは都合が合わず、出演できませんでした
しかし2017年は、ありがたい事にFREE THROWのレギュラー4名全員が来沖して下さり、ホームの熱血社交場で再びご一緒する事ができました
FREE THROWのみなさんのプレイは、それはもうものすごくて
前にも書いたけど、一人一人がものすごい上に、パーティーを盛り上げるために自分はどうすればいいか、どの時間帯のどのお客さんに投げかけ、どうやって次の人につなげるか、そして次の人は前の人からの伏線をどう回収し、どこで爆発させるか
プレイしていない時でも、一人で来ているお客さんに積極的に話しかけて、飲み物を奢ったり、好きなアーティストを訊いたりしていて
打ち合わせや作戦会議もしていないのに、4人の意識が統一されていて、各々がパーティーの事を考えて動くその様は、まるでプロのスポーツチームさながらのプロ意識をまじまじと感じました
実はその頃、FREE THROWはレギュラーで使っていたハコが諸事情で使えなくなり、今後どうやって活動を続けるか模索していたそうです
後にタイラダイスケさんのブログには、こう書かれていました
「また4人でやりたいし、やれるかも」と思えるようになったきっかけをくれたのは、7月にFREE THROW4人をツアーで呼んでくれた沖縄の踊ROCKのおかげかもしれないと思っています。
あの夜は4人の「阿吽の呼吸」みたいなものを感じてすごくしっくりきました。
翌日の海も、みんなで食べたご飯も全部よかった。
あの時間は結構自分にとって大きかったなと思っています。
こちらとしては、ただただFREE THROWの方々のプレイを沖縄で、大好きな熱血社交場で観たい!がほとんどで、あとあわよくば一緒にできればいいなー、一緒に酒飲んで遊んでお話できたらいいなーというささやかな下心でオファーさせていただいて、それができただけで大満足なのに、タイラさんにこう書いてもらえるなんて…
本っっっ当に、感無量です
しかしタイラさんが書いてる「阿吽の呼吸」は、まさにその通りでした
こちとら比べるのなんかおこがましいほどのペーペーですが、踊ROCKや、毎月レギュラーのHakkin'!!をやってきて、続ける事の苦しさ、難しさは嫌という程感じていました
それよりも遥かに永く、遥かに高いステージでFREE THROWを続けてきた4人には、その苦しみの分、濃密に凝縮された4人だけの空気感というか、身に付いたものがあると思うんです
あの夜、まさにそれを実感しました
最高の一夜を体験させていただいたFREE THROWの皆さん、本当にありがとうございました
♪今日の一曲
阿吽 / ポルカドットスティングレイ
【旅行シリーズ】大分・別府編 絶品からあげと露天温泉満喫一人旅
沖縄おじさんからの大事なお知らせと心の叫び
昨日公開したYouTubeでお知らせしましたが、改めてブログでもお知らせさせていただきます
去年の9月から、一年間の長期出張を命じられ
福岡県田川市へ単身赴任していましたが、
8月で出張を終えて沖縄へ引き上げる事となりました
いやー、ほんと、長かったような、あっという間だったような、濃い時間でした
そもそもこの長期出張は、会社から一方的に命じられたわけではなく、こういう仕事がありますが希望しますか?という打診に対し、自ら手を上げて決まったんです
誰も希望者が出なければ結局、会社側が人選して命じられるので、それなら手を上げた方が会社への見え方もいいんじゃない?という嫁さんからの一押しもあり、立候補しました
そしたら見事に選ばれてしまい、3年2ヶ月の、じゃなかった1年間のいわゆる一人旅に出たのでした
家族と離れて一人で生活する事や、仕事へのプレッシャーなど、不安も多かったですが、せっかく行くからには仕事はもちろん、プライベートの時間も充実させて、今しかできない事をたくさんやってやろう!と思ってました
単身赴任を終えるにあたって、この1年間を振り返ってみて、声を大にして言いたい事があります
コロナのせいでやりたい事が全然できなかった!!
その一言に尽きます。ほんと。
ただでさえ、家族と離れて一人で暮らして、知らない土地で、慣れない環境で仕事をするのってしんどいのに、オフの日もステイホームだったり、行きたかったイベントが中止になったりと、ここ半年はマジで最悪でした…
てか、よりによってわざわざ単身赴任の年にコロナなんか流行るかね?
もし単身赴任じゃなかったらさ、外出自粛になっても家で家族といれるから寂しさもそんなになかっただろうに、よりによって見知らぬ土地で狭い家で一人で暮らしている時にそんな事が起きるかね?
今だから言うけど、ほんと、ほんっっっとに、しんどかったです。。。
しかも7月には豪雨災害も起きるしよ。田川も警報鳴りまくりだし、避難するように呼びかける放送も鳴りまくりで、ほんと生きた心地しなかったですよ
もう、「なんて年だ!」とバイきんぐ小峠ばりに叫びたいけど考えたら小峠って田川市出身なんですよねどうでもいいけど
今回はほんと愚痴ばかりの記事になってしまいますが、今回だけにするのでここで思いっきり、やりたかった事を言わせて下さい
・ハウステンボス観光!
・ホークス試合観戦!
・花見!
・夏フェス参戦!
・劇団四季の舞台観覧!
・BBQ!
・ライブ参戦!
・家族での九州旅行!
・海水浴!
・バスケ試合観戦!
・会社の同僚との飲み会!
ぜーーーんぶ、ダメになりましたよ…。涙
まぁ、いくら悔やんでももう沖縄へ帰る事は決まってるし、気持ちを切り替えるしかないですよね
ここで思いの丈を書けたので、少しは気持ちが楽になりました
コロナのせいでマイナスな出来事は多かったとはいえ、この一年間で学んだ事や経験した事、大切な仲間に出会えた事や成長した事など、プラスな出来事もあったので、できるだけポジティブな気持ちで、最後まで勤め上げたいなと思っています
このブログやYouTubeも、単身赴任にならなかったら絶対にやってなかっただろうし。これを読んで下さっている方とも、知り合う事なく一生を終えていたかもしれないし
人生、何事も、無駄な事なんてないですもんね!そう思うと、全ての事に感謝ですよ
しかし、YouTubeでも言いましたが、このブログもYouTubeも、タイトルどうしよう問題があるんですよね…
「福岡県田川市に単身赴任中の」というのがなくなると、ただの「沖縄おじさん」だしね…
参加させてもらっているにほんブログ村のカテゴリも単身赴任だし…
まだどうするか決めかねていますが、何かいいタイトル案がありましたらアドバイス下さい
とりあえず、単身赴任は終わりますが、今後もブログもYouTubeも続けていきます!
前々から言っているように、このブログもYouTubeも、とある目標があって続けているので、いずれその目標についてもお知らせするつもりです
どうか今後も、お暇なときでいいですので、ブログとYouTube共々、お立ち寄り頂けると嬉しいです
これからも、よろしくお願いします
♪今日の一曲
大迷惑 / UNICORN
会社から近所のトライアルまでの道のり
〜沖縄おじさんからの大事なお知らせ〜
同世代ならきっと共感できる、今はなくなってしまった学校あるある
おじさんは小さい頃からテレビっ子で、今でも毎週録画しているバラエティ番組がたくさんあります
イッテQ、アメトーーク、ロンハー、しゃべくり007、ゴッドタン、有吉の壁、水曜日のダウンタウン、ダウンタウンなう、ダウンタウンDX、ガキ使、ネタパレ、にちようチャップリン、しくじり先生、テレビ千鳥、ハピキャン、鉄腕DASH、バナナサンド、内さま
など。あとドラマでは半沢直樹ね。正直、多くて全部は観きれてないです…
先日、「しくじり先生」で、昔は常識だったけど今はもうなくなってしまった学校あるあるについて紹介してました
これがまた懐かしくて、同世代ならきっと共感できると思うので紹介したいと思います
・座高の測定
昔は身体測定の時に、椅子と身長を測る器具がくっついたような独特の器具で座高を測定していました
もともとは戦時中に徴兵の身体測定で開始され、座高が高いという事は内蔵が発達しているから健康だと思われていたそうです
ところが2014年、「測定する意味がない」との事から廃止になりました
・プールの腰洗い槽
プールにあった、階段で仕切られた窪んだスペースに、塩素の匂いがする水が入った腰洗い槽。プールに入る前はそこに浸かってから入るのが当時のあるあるでした
塩素を含む水で大腸菌などの菌を殺し、感染症を予防するための設備だったそうなんですが、2001年に廃止になったそうです
昔はプールの水を循環させておらず、感染症のリスクが高かったんですが、ろ過装置付きのプールが増えて、感染症のリスクが下がった事が要因との事です
・プールの目洗い場
目の間隔に合わせて二股に分かれた蛇口が上を向いた形状の目洗い場
目に入った塩素を洗い流すためのものとして、当時はプールに入った後必ず使ってました
ところが時代は変わり2008年、とある大学の研究チームが、目洗い場に対する衝撃的な発表をするのです
それは何と…角膜を傷つけるという説です
なんと、我々は自ら角膜を傷つけにいっていたという衝撃的な事実
今ではゴーグルをつけて水泳する事が推奨されているのと、涙による自浄作用で十分とされていて、目洗い場は学校から姿を消したのでした…
確かに、今思い出すとおじさんが小学生の頃の水泳では、ゴーグルをつけてなかった気がします…
・アルコールランプ
アルコールが入った瓶で、アルコールが染み出た綿の部分に火をつけて理科の実験に使ってましたが今ではなくなりつつあるそうです
その理由が衝撃的で、なんと、マッチを使える子供が激減したとの事
あと、ヒビや傷から空気が入り込んで爆発するリスクもあるそうです
当時はそんなリスクを背負って授業していたんですね…
・HBの鉛筆
これも衝撃的な理由でした
おじさんが子供の頃は、鉛筆と言えばHBが主流でしたが、今はHBではなく2Bが主流で、その理由は
子供の握力が低下しているからだそうです
タッチペンを使ったり、書きやすいシャーペンが普及した事で握力が低下していて、ペットボトルの蓋を開けれない子供が増えているとの事
確かに、息子もペットボトルの蓋が開けれなくてよくおじさんに開けてって言ってます
軟弱な子になってほしくないので、自分で開けるよう言ってましたが、うちの息子に限った事じゃないというのはこのテレビを観て初めて知りました
ほかにも、石綿付き金網、OHP、焼却炉、ぎょう虫検査もなくなりつつあるとの事
さらに衝撃的なのが、今では電子黒板やホワイトボードが使われていて、黒板やチョークや黒板消しも消えつつあるそうです
教室の扉に黒板消しを挟んで、扉を開けると黒板消しが頭の上に落ちてくるというベタないたずらも、今後は消えていくんですね…
てか扉がないオープン教室も増えてるからそもそも挟めないのか
というような、とても懐かしくて興味深い内容でした
この番組を観て、おじさんの子供の頃にあったとある夏の風物詩を思い出しました
幼稚園か小学校低学年くらいの頃、おじさんのいた地域では夏になると、軽トラの荷台に謎の機械を積んで、「ブォーーーン」という爆音と共に周囲に真っ白な煙を吐き散らす車があったんです
親からは、あの煙は蚊や虫を殺す殺虫剤で体に悪いから近づくなと言われていたんですが、子供たちはあたり一面白煙だらけの世界が楽しくて、こぞってその煙の中に身を投じてはきゃっきゃきゃっきゃしてました
同世代ならみんな知ってると思ったんですが、大人になってから那覇とか南部の人に話してもまったく伝わりませんでした
あれってひょっとしてうちの地域だけなんでしょうか。宜野湾市民なら知ってるのかな。それともほんとピンポイントで野嵩だけなんだろうか
覚えている人いますかね?
ふと気になった、とある夏の日でした
♪今日の一曲
夏の日の1993 / class
〜ボスステージ前・後編〜
バツイチの方に沖縄おじさんが伝えたい事
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.84】
前回の続き
娘が中学生の頃、おじさんは意を決して娘に再婚した事を伝えたところ、娘はすんなりと受け入れ、おめでとうと言ってくれました
よかったら嫁さんと息子に会わないか、と訊くと、恥ずかしいとの事で断られました。しかし、何回か会っていくうちに、会う事を受け入れてくれました
息子には、まだ会った事ないお姉さんがいて、今度会えるよ、と伝えました
一人っ子できょうだいをほしがっていた息子はすんなりと受け入れ、お姉さんに会うのを楽しみにしていました
そしてある日、娘を家に招き、嫁さんと息子に紹介しました
娘も嫁さんも人見知りなので、最初はお互い恥ずかしそうにしていましたが、ハイテンションな息子はその気まずい壁をあっさりとブチ破り、すぐに打ち解けていました
娘も一人っ子で寂しかったのか、弟に対して優しく接し、楽しそうに一緒に遊んでいました
おじさんにとってそれはまさに夢のようで、まさかこんな光景を見れる日が来るなんて、思っていませんでした
それからちょくちょく、娘も一緒に遊ぶようになりました。一緒に買い物に行ったり、姉夫婦の家に遊びに行ったり、家でご飯を食べたりと、とても幸せな時間を過ごしてきました
去年、おじさんが単身赴任になったせいで息子の運動会に行けなかったんですが、なんと代わりに娘が行ってくれました
嫁さんと息子と娘の三人で仲良く写った写真を見て、何とも言えない幸せな気持ちになりました
幼い頃に離ればなれになってからずっと、娘に対しては申し訳ない気持ちでいっぱいでした
それなのに、とても心の優しい、礼儀正しい、素晴らしい人に育ってくれて、別れた父親の事も、新しくできた家族のことも受け入れてくれた娘に心から感謝しています
そして、同じく娘の事を家族として受け入れてくれた嫁さんと息子にも、心から感謝しています
前の妻と離婚した時、とても悲しくて、辛くて、情けなくて、申し訳なくて、毎日負の感情に押しつぶされそうでした
前の妻と娘に対する罪悪感でいっぱいで、もう二度と結婚なんかしないし幸せになる事もないと思っていました
というより、自分にはそんな資格はないと思っていました
おじさんの友達にも離婚を経験した人がいますが、話を聞くとやはり、子供と離ればなれになってしまった事でおじさんと同じような罪悪感を感じていました
何もやる気が起きなくて、幸せになる事を諦めて、自暴自棄になったりする事もあります
おじさんもそうだったので、その気持ちはとてもよくわかります…
それでも、この先何十年も生きていかないといけないし、自分の人生はたった一度しかありません
何十年もクヨクヨして生きるよりは、無理矢理にでも気持ちを切り替えて、自分の人生をプラスにもって行く方がいいと、今となっては思います
おじさんも、物心がついた頃には両親が離婚していましたが、親がずっとその事を引きずってずっと独り身でいたら、かえって自分が重荷になっているんじゃないかと不安になってしまいます
自分がおこした失敗を反省するのはいい事ですが、気持ちの切り替えと、この先に目を向けて歩みだす事も大事だと、おじさんは思います
少なくともおじさんは、そう思えた事で、何物にも代え難い、命よりも大事な家族ができました
もし今、あの頃のおじさんのように、毎日後悔して暗く辛い気持ちになっている人が、この記事を読んで、こういう考え方もあるんだ程度にでも思ってくれれば幸いです
♪今日の一曲
Happy Life / DYGL
【道の駅探索シリーズ】来てみんね・かながわ編
1玉100円!タイガーメロン