アラフォー世代におすすめの映画
昨日、嫁さんと飲みながら映画「SUNNY 強い気持ち・強い愛」を観ました
あらすじ(wikipediaから抜粋)
90年代、仲良しだった女子高生6人グループ「SUNNY」。それから20年以上経ち大人になった彼女たちは、それぞれに問題を抱えながらも日々を送っていた。その中の一人、今は普通の主婦となった奈美は同じメンバーの芹香が末期がんに冒され、余命1か月を宣告されていることを知る。ある事件をきっかけに疎遠になってしまった彼女たちだったが、芹香のもう一度SUNNYのメンバーに会いたいという願いをかなえるため、奈美はメンバーたちを捜し始める。
そんなに期待せずに観たんですけど、これがなかなかいい作品でした
コギャル文化やJ-POP、ファッションや街中の広告までも、全て90年代で懐かしいのと、大人になりそれぞれの人生を歩んでいくうちに疎遠になっていく感じがリアルに共感できて、アラフォー世代ならきっと刺さる作品だと思います
同世代の友人の死という、受け入れたくない現実と向き合う年齢になってきたんだなーと実感するとともに、改めて友人の大切さに気づきました
観ると昔の友人に連絡してみたくなるような、大人向けの青春群像映画です。よかったら観てみて下さいね!
♪今日の一曲
強い気持ち・強い愛 / 小沢健二
泊いゆまちで魚を買っておつまみを作って食べた
ただいま帰省中
ただ今、沖縄に帰省中です
内地では雨が続いてるようですが、沖縄はだいぶ前に梅雨明けして、夏真っ盛りです
早朝からクマゼミの元気な泣き声が響いてて、沖縄に帰ってきたなーと実感しています
先日は家族で北部に行って、グラスボートに乗って魚に餌やりして、本部町の瀬底島で泳いで、一棟貸しの一軒家に泊まってBBQ飲みしました
沖縄の海の写真です
こちらは同じ場所から撮った朝、昼、夕方の写真
朝
昼
夕暮れ
きれいですねー
その翌日は、名護市羽地にある道の駅っぽいとこで朝食を食べました
道の駅には、沖縄ならではの食材が売っています
青パパイヤ。沖縄では細くスライスして炒め物にしておかずとして食べます
ヘチマ。方言ではナーベーラーと言い、煮物にしたり汁物にして食べます
内地では少々値が張る海ぶどうも、沖縄だと200円で買えます
朝食兼昼食のソーキそば。地域によって麺に違いがあり、名護は平麺が多いような気がします
沖縄で遊んだり、家族で飲み食いしている様子の動画も続々公開していきますので、ぜひYouTubeも観て下さいねー
♪今日の一曲
常夏 / MONGOL800
家族でグラスボートに乗って魚に餌やりしてきた
ご冥福なんか祈りたくない
以前、人生遍歴ブログで、9.11の同時多発テロが起きた時の出来事を書きました
あの時、内地の人たちにとっては海の向こうの遠い国の出来事と思っているように感じられ、とても人ごとと思えないほど危機感を感じていた自分の感覚がずれているのかなーと思っていました
しかし先日、興味深い記事を見つけて、やっぱりあの時自分が感じた感覚は沖縄人としてのアイデンティティーだったんだと再認識しました
モンパチがなぜあれだけ売れ、世に知れ渡っていったのか
10代の大学生が突如大ブレイクしたにも関わらず、紅白への出演やメジャーレーベルへの移籍もせず、マイペースで活動をし続けられたのはなぜなのか
そういった内容が書かれています。とても興味深いのでよかったら読んでみて下さい
この「平成ヒット曲史」シリーズ、平成を1年ごとに切り取り、その年の音楽業界のヒット曲とその背景について書いているんですが、平成10年の記事もとても興味深かったです
X JAPANの解散後、間をあけずに突如シーンに登場し、席巻した最中にこの世を去ったhide
彼が遺した傑作「ピンクスパイダー」は、その後の世の中に起きる未来の出来事を予言している曲だった、という記事です
www.bookbang.jp今思うと、hideって本当に先見の明に長けていたんだなーと思います
ファッションも音楽性も歌詞も、今観ても全然古くないんですよね
hideの死の動機については様々な説があり、未だに謎のままですが、きっと今後も世の中に素晴らしい作品をたくさん生み出してきたであろう才能あふれる人がこの世を去るというのは、何とも言えないやるせない気持ちになりますね…
ご冥福なんか祈りたくない。とにかく生きててほしかったと思います
♪今日の一曲
さよならなんかは言わせない / B'z
【道の駅探索シリーズ】川崎町De・愛編
そうめんうりの冷やし素麺
涙の理由(わけ)←90年代J-POP歌詞風
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.78】
前回の続き
ハイスタことHi-STANDARDの18年ぶりの新作「THE GIFT」は、10代の頃にどハマりしたスピード感と秀逸なメロディーラインがありながらも、18年もの間の人生経験と三人の関係性の変化が音や歌詞に現れていて、「今のハイスタ」が凝縮したような、素晴らしい作品でした
そしてその作品を引っさげて、全国13公演のツアーが決まり、何度目のチャレンジなのか覚えていませんが、ついにおじさんは人生初のハイスタのライブのチケットをゲットしたのでした!
おじさんが穫ったのは大阪公演2daysの2日目、2017年11月26日の大阪城ホール公演で、ゲストはMAN WITH A MISSIONでした
ライブ当日、気持ちが高まったおじさんは午前中のうちに大阪城ホールに行きました
そこで目にしたものは、ツアーのロゴが塗られた機材車、ハイスタのTシャツを着たお客さんたち、ツアーグッズの物販、そしてホール入り口に掲げられたツアーの横断幕…
本当に、今日ここで、ハイスタが観れるんだと、より一層胸が高鳴りました
そこで早々にグッズを購入し、近所を散歩したりご飯を食べに行ったりしていよいよ開場の時間を迎え、意気揚々と入場しました
おじさんのブロックは残念ながらステージ向かって右側、健さん側の一番後方でした
会場で買ったビールを飲みながら開演を待っていると、ほぼ定刻に会場が暗転し、MAN WITH A MISSIONが登場しました
マンウィズはこれまで何度もフェスで観てきたんですが、この日はハイスタのツアーという事もあってめちゃめちゃ気合いが入っていて、MCでもハイスタと一緒にやれる事がどれだけ嬉しいか熱を込めて話してて、愛にあふれたステージでした
マンウィズのライブが終わり、転換の間はまた会場が明転するんですが、転換の待ち時間の間、ステージ上の大きなモニターには客席の映像が流れていました
おじさんと同世代の人や、二十歳そこらの若い人、小学生など、あらゆる世代のお客さんが、期待に胸膨らませた満面の笑みで映っていて、会場全体がとてもあたたかい空気に包まれていきました
そしていよいよその時が来ました。会場が暗転すると、地響きがするほどの歓声が上がり、ステージに難波さん、健さん、ツネさんがニコニコしながら登場しました
その時の気分はなんというか…あぁ、ハイスタって本当に実在するんだというような、どこか現実味を帯びていないような不思議な感覚でした
難波さんの軽いMCの後、アカペラで歌いだしたのが「FIGHTING FISTS, ANGRY SOUL」でした
アカペラの後、3人が音を出した瞬間、おじさんの頭の中はハイスタを初めて聴いた高校1年生の頃から今までの、20年間の思い出が一気に溢れ出しました
そして気がつくと、無意識のうちに涙が溢れてきました
ライブは新旧織り交ぜたセットリストでした。昔の曲を聴けば20年間の思い出が蘇り、新しい曲では今のハイスタ3人の演奏している姿を観て感慨深くなり、笑ったり泣いたり叫んだりの、汗と涙と涎にまみれたあっという間のライブでした
本編が終わりアンコールでは、3人とともに、神戸のライブハウス「太陽と虎」の店長で神戸のフリーフェスを主催する松原さんが登場
松原さんはハイスタと昔から親交があり、現在はガンと闘病中で、この日なんとか一時退院しライブに駆けつけたとの事でした
健さんが「いつもはバンドがステージから皆さんにエネルギーを送るものだけど、今日はオレ達と皆さんで松原にエネルギーを送ろう」と言って演奏したのは、16年の活動休止を経て再始動したハイスタが復活後初めてリリースしたシングル曲「ANOTHE STARTING LINE」でした
明転された客席には、何万人もの人が大声で大合唱する光景。ステージには涙で歌えなくなる難波さん…
あの日、会場にいた全員が、ありったけのエネルギーを松原さんに届ける光景は、一生忘れられず、何ものにも代え難い感動でした
最後はアンコールに3度も応えてくれて、最初から最後まで、本当に最高のライブでした
しかし正直、いくら感動したとは言えこれまでいろいろな事があっても全然泣けなかった自分が泣くなんて思ってもいませんでした
その理由は、その後に公開されたハイスタのドキュメンタリー映画「SOUND LIKE SHIT」を観た時にわかったような気がしました
ハイスタが観れた、3人の生の音が聴けたという単純な嬉しさもあるんですが、メンバーですら二度と復活しないと思っていたハイスタが復活したという事がそもそも奇跡的なことで、だからこそあんなにも感動が生まれたんだと思います
この作品は、ハイスタがどうやって結成し、シーンを駆け上がり、なぜ人気絶頂の最中に活動休止したのか。活動休止の間にどのような出来事があり、どうやって再結成したのか
それら全てを、ここまでさらけ出す?と思うほど、痛々しいほどリアルにさらけ出したドキュメンタリー映画です
これを観るとハイスタがいかにすごくて、奇跡的なバンドなのか伝わると思います
興味がある方は観てみて下さいね!
SOUNDS LIKE SHIT the story of Hi-STANDARD / ATTACK FROM THE FAR EAST 3 [DVD]
- 発売日: 2020/04/22
- メディア: DVD
以上、2回にわたって長々と書きましたが、これがおじさんが大人になって二度目に泣いた出来事です
ってか改めて思うけど、バンドっていいよねー。久々にやりたいなー
実は先日、前にブログにも書いた、昔一緒にバンドやってたヒロキと連絡を取り合ったんですよ
今はお互い仕事の事情で離れているけど、いつか沖縄帰ったら一緒にスタジオ入ったり、なんだったらライブとかできたらいいよなーって話になってるんです!
またバンドがやれるなんて思ってもなかったけど…もし本当にタイミングあったらぜひやりたいなーと思ってます
もしライブもできるようになったら、その時は告知するのでぜひ観にきて下さいね♪
なお、ハイスタのステージに登場した松原さんはその後も闘病を続け、医者から宣告されていた余命よりも長く生き続け、2019年4月4日に旅立ちました
そんな松原さんの闘病中のブログがこちらです
♪今日の一曲
ANOTHE STARTING LINE / Hi-STANDARD
【道の駅探索シリーズ】勧遊舎ひこさん編
せり鍋と黒頭巾の塩茹で
人生で二度目に泣いた日
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.77】
おじさんはなぜか、日常生活で泣く事がほとんどないです
どれだけ悲しい映画を観ても、出産に立ち会っても、離婚をしても、身内が亡くなっても、泣く事はありせんでした
別に、泣くのを我慢しているわけじゃないんです。むしろ気持ちとしては泣きたいんですけど、なぜか涙が出ないんです
しかし人間の体は不思議なもんで、定期的に涙を流さないといけない構造になっているのか、夢を見て泣く事はちょくちょくあります
夢の中ではたいした出来事じゃなくても、目が覚めるとめちゃめちゃ泣いている事があります
子供の頃は普通に泣く事もありましたが、大人になってから泣いたのはこれまでで二回しかありません
そのうちの一回目の出来事については、以前ブログに書きました
今日は二回目に泣いた日について書こうと思います
おじさんが高校一年生の頃、同級生があるバンドのCDを紹介してくれました
そのバンドはHi-STANDARD、通称ハイスタ。3ピースのメロディック・パンク・ロックバンドでした
彼らの音楽はめちゃめちゃテンポが速く、短く、それでいて強烈に頭に残る秀逸なメロディーラインで、歌詞はなんと全て英語詞という、これまでのどのバンドにもなかった唯一無二のスタイルで、一度聴いた瞬間すさまじい衝撃を受けました
ハイスタのジャンルは後に、メロディック・ハードコア、通称メロコアと称され、その後に続くバンドが続々とシーンに登場し、一大ブームを生み出すのでした
おじさんもハイスタをきっかけにメロコアシーンにハマり、BRAHMAN、SNAIL RAMP、KEMURI、SCAFULL KING、POT SHOTなど聴き倒していいました
BRAHMAN、KEMURIは高校生の頃に沖縄でライブがあり、観に行ったんですが、ハイスタが沖縄にライブに来た時はまだその情報を知らず、一度も観る事ができませんでした
そしておじさんが高校を卒業した2000年8月、ハイスタ主催の伝説的なフェス「AIR JAM」でのライブをもって、ハイスタは活動休止に入るのでした
ハイスタの大ファンだったおじさんにとってハイスタの活動休止はとてもショックが大きくて、一目ライブを観たかったという後悔の念に駆られました
それからハイスタの3人はソロやバンドなど、各々活動を続けてきました
あくまでも解散ではなく活動休止なので、いつか復活してほしいと願っていましたが、メンバー間の確執や健康状態にまつわる噂、さらにはボーカルの難波さんがハイスタの音源の版権を巡ってブログに警告文を出すなど、恐らく復活は無理なんだろうと思わざるを得ない状況でした
それから月日は流れ。2011年3月11日に東日本大震災が発生
そして4月26日、ハイスタの健さん、難波さん、恒岡さんの3人がそれぞれのツイッターでほぼ同時に『9.18 ハイ・スタンダード AIR JAM。届け!!!』というつぶやきとともに3人揃った写真を掲載し、誰もがもう二度とないと思っていたハイスタの復活が実現したのでした!
後になってわかったのですが、ハイスタの3人は、東日本大震災を受けて、自分らが何か被災した方々を勇気づける事はできないかと考え、復活を決めたとの事でした
その後、9月18日に横浜スタジアムでAIR JAMを開催する事が正式発表されました
この機会を逃したら次はいつハイスタが観れるかわからないので、すぐに休みをとって航空券と宿をおさえました
あとはチケットを穫るのみ!と気合いを入れてチケット争奪戦に臨んだものの…当然チケットは即完。ネットも電話も全く繋がらず撃沈しました
転売ヤーから買うなんてあり得ないし、せめて現地に行って音漏れでも体感できればいいかと思っていたんですが…
ハイスタの難波さんがメディアで「当日は音漏れ目当てで集まるのはやめてほしい。近隣住民に迷惑をかけてしまうと開催自体ができない可能性がある」と発言していたのを目にし、泣く泣く全てキャンセルし断念しました
その翌年の2012年には、宮城県でAIR JAM2012が開催。当然行きたかったんですが、震災で傷ついた人たちに元気になってもらうための開催だったので、現地の人らが参加した方がいいだろうと思い断念
さらに月日が流れ、2015年にはBRAHMANのライブなど3本のライブに出演。2016年には福岡でAIR JAM2016を開催するもどのライブも仕事の都合が合わなかったりチケットが穫れず、結局、復活後もハイスタを観る事は叶いませんでした
そして2017年。街頭看板にて突如、ハイスタの18年ぶりとなるNEWアルバム『THE GIFT』の発売が突如告知され、その後まさかのリリースツアーが決まったのでした
ちょっと長くなったので今日はここまで。次回に続く
♪今日の一曲
MOSH UNDER THE RAINBOW /Hi-STANDARD
【やってみた・挑戦シリーズ】
広島・山口で買ったスクラッチくじに挑戦!
一生涯付き合いたいと思っているナイスガイ
【沖縄おじさんの人生遍歴ブログ Vol.76】
おじさんが今の会社に入社して配属されたのは通称「北朝鮮」と呼ばれる、業務量がハードなプロジェクトでした
入社から10年目を迎えた2014年、とうとう脱北に成功し、新たなプロジェクトへ異動となりました
新しいプロジェクトは、最初は40人ほどでスタートし、徐々に人数を増やし規模を拡大し、最終的には200人を超えるの大きなプロジェクトになりました
そこではいろいろな人との出会いがありましたが、今回は、そのなかの一人について書きたいと思います
彼の名は晃。おじさんと同じ高校の出身で、おじさんよりも7歳年下です
いつもニコニコしていて、誰に対しても分け隔てなく接し、どんなに忙しくても周りに流されず冷静で、合理的に仕事ができて、誰からも頼られて愛される人でした
仕事以外の時間では、酒と音楽とキャンプとBBQをこよなく愛していて、よくビーチパーティーを主催したり、居酒屋の激安キャンペーンがあれば同僚を連れて飲みに行ったり、晃の家のベランダでカセットコンロでプチBBQ飲みをしたりしてました
もちろんおじさんも、仕事ができて、プライベートでは仕事の事を忘れてめいっぱい楽しむ、晃の事が大好きでした
今は結婚して奥さんになっているんですが、当時晃は同じ職場で知り合った、マーリーという女性と付き合っていました
マーリーは料理がとても上手で、以前ベトナム旅行に行って魅了されたベトナム料理の店を出したいという夢がありました
晃も大学生の頃に旅行でアジアを回ったことがあり、ベトナム料理も好きで、いつしかそれは二人の夢になりました
2015年、おじさんがやっている自主企画DJイベント「踊ROCK」で、バンドやDJが出演するフェスティバル形式のイベントを企画し、そこにフードの店を出店したいと思いました
すぐに思いついたのが晃・マーリー夫妻でした。出店してほしいと相談したところ、彼らはとても喜んで快諾してくれました
sanboo.hatenablog.jp彼らが出店した「ベトナムめし マーリー」は大好評で、出演者もお客さんもみんな、美味しい!と満足してました
それをきっかけに彼らは、県内の様々なイベントに出店するようになり、その美味しさから「ベトナムめし マーリー」の名は徐々に知れ渡っていきました
2015年9月、おじさんは東京に10日ほど出張に行く事になり、晃が壮行会を計画してくれました
普段は那覇の会社近辺で飲む事が多いんですが、その壮行会は瀬長島という、ここ最近区画整理してお洒落な店がどんどんできている「ウミカジテラス」という観光スポットにある、プレオープンの店を貸し切ってやるというなかなか大掛かりな壮行会でした
店の名前は「on the glass」。晃から送られたお店のサイトを見てみると、めちゃめちゃお洒落なダイニングバー的な雰囲気で、安い居酒屋が好きな晃がこんないい店をとってくれたなんて、嬉しいやら恥ずかしいやら申し訳ないやらで複雑な心境でした
そして壮行会当日。おじさんの仕事終わりに合わせてわざわざ晃が車で迎えてくれて、会場の店まで送ってくれました
夜の瀬長島は、海沿いにできたばかりのお洒落なお店が立ち並び、その明かりが夜の海に反射して、とてもいい雰囲気でした
「on the glass」はどこにあるんだろうと、期待と不安が入り交じった気分で待っていると、晃が運転する車はお洒落な店が建ち並ぶ区間を通り過ぎていき…停まったのはただっ広い原っぱ
そこには、テントが複数張られていて、会社の仲間たちがおじさんを出迎えていました
・当日の様子
そう、なんと、壮行会は野外でのBBQというサプライズだったんです!
「on the glass」という店など存在せず、おじさんが見たサイトはわざわざ晃がサプライズの為に作った架空の店のサイトだったんです
しかも店の名前の「on the glass」とは直訳すると「芝生の上」との事…。確かに、ロックインジャパンフェスでも、大草原にあるステージの名前は「GLASS STAGE」だったなーと思い出しました
もうね、感動ですよ。こんなおっさんの、たかだか10日間の出張のためにここまでしてくれるなんて!
店を1軒貸し切るよりも、食材や飲み物を買い出して、車にたくさん機材を積んで、テントを立てて、火をおこして、BBQして、翌日の片付けすると思ったら絶対そっちの方が面倒じゃないですか
こっちとしてもぶっちゃけ、お洒落なダイニングバーでほっそいグラスでビール飲むのなんか居心地悪いから、野外でBBQの方が何倍も嬉しいんです
しかも、9月とは言え夜は寒くなるだろうと配慮し、送別品として上下のトレーナーまで用意してくれました
この気配り、このセンス、そして架空のサイトまで作る手の込みよう。たまんないっす
その日は夜遅くまで、大好きな仲間とたくさん飲んで話して、テントに泊まり、翌朝は海から昇る朝日を見ながら晃が作った特製ビーフサンドで朝食をいただくという、人生で一番心に残る壮行会になりました
・もらったトレーナーを着て寝落ちするおじさん
・右下のいい笑顔の彼が晃です
・翌朝のテント
・目の前は水平線と晴天。最高です
・最高の朝食
そしてその翌日、東京へ出張に旅立つのですが、出張ついでに立ち寄った横浜のセンターで、来週から沖縄センターで勤務するという女性が挨拶にきてくれました
その人と後に再婚するとは、その時は夢にも思ってませんでした
晃とマーリー夫妻はその後、夢の実現を目指して会社を辞め、様々なイベントで出店を続けていきました
そしてついに二人は夢を叶え、今年の2月、宜野湾市普天間のサンエー隣の2階に「ベトナム マーリー」がオープンしました!
フォーはもちろん、バインミーという豚をパン的なもので挟んだやつや、ブンチャーという焼きつくねのぶっかけビーフンなど、めちゃめちゃ本格的で絶品のベトナム料理が盛りだくさんです
ランチメニューの定食から夜のおつまみ、ベトナム名物の練乳コーヒーやデザートもありますよ
味は保証しますし、晃とマーリー夫妻の人柄も最高なので、沖縄にお越しの際はぜひお立ち寄り下さいな♪
♪今日の一曲
【道の駅探索シリーズ】たけはら編
丹波黒豆の塩茹でとオクラとシーチキンの卵とじ
沖縄人ならきっとわかってくれると思う
広島、山口の一人旅を終えて田川に帰ってまいりました
長時間の運転は疲れたけど、めちゃめちゃ楽しかったです
てか、沖縄人ならきっとわかる疑問だと思うんだけど、内地のドライバーって踏切手前に必ず一時停止しますよね?
あれ、何で必ず守るんだろう?
いや、交通ルールってのは知ってますよ。でも、速度制限とか一時停止とか横断歩道に歩行者いても止まらないとか、何気に守っていないルールもあるじゃないですか。実際に守ってないのを何度も目にしてるし
なのに何故か、踏切手前の一時停止に関しては必ずみんな守りますよね?
電車のない沖縄には当然、踏切もないのでその習慣がなくて、ついつい停るのを忘れてしまいそうになるんですが…
それにしても何故みんな、そのルールに関してはきっちり守ってるんだろう?取締りが厳しいのかな?
まぁ、交通ルールを守るのはもちろんいい事なんで、もの申す気は全くないです
ただただ単純に気になった、それだけの事です
♪今日の一曲
ドライブ / ケツメイシ
【旅行シリーズ】竹原・下関編
保存地区・唐戸市場・露天温泉満喫一人旅